福原長者

原文:神奈川県足柄下郡箱根町


昔福原長者と云ふ長者様に、おうのう姫千代姫と云ふ姉妹の姫があつたが、この二人は今の母親にとつてはどちらも継娘であつた。或年父の長者は天子様の御書役となつて都へ上つて行つたが、継母はその留守を幸ひ、益二人の姫をいぢめ出した。先づ嘘の手紙を拵へて姫共を呼び、父様とこから廻状来たと云つた。姉妹が、母様何とて読みなさる、と問ふと、母は二人の姫共に七つの竈へ、青松葉と附木一片で火を燃しつけろとの状が来た。と答へた。そこで姉妹の姫は七つの竈へ一生懸命に火を燃しつけようとしたが、慣れない事ではあるし、青松葉は燻るばかりで少しも燃えず、とうとう姉姫の方は、困つたなアと云ひながらしくしく泣き出してしまつた。けれど妹の千代姫は、何や姉様泣くことあらに、親に孝行となるなれば、青葉も竈も燃さざらに、と云ひながら近所の婆さんから油をそつと貰つて来て、それを青松葉へかけて火をつけたので、ちつとも造作なく燃しつける事が出来た。よもやつくまいと思つてゐた火がついたのを見ると、母親は暫くして又一工夫をし、先と同じ様に父様とこから廻状来たと云つた。姉妹が、母様何とて読みなさると問ふと母親は、二人の姫共に七つの甕(コガ)へ籠で水を汲ませろとの状が来たと答へた。そこで姉妹は籠で水を汲む事になつたが、姉姫は又困つて、籠でどうして水を汲んだりと云つて泣いてゐると、妹の千代姫が、何や姉様泣くことあらに、親に孝行となるなれば、籠でも水を汲まざらに。と云ひながら自分の著てゐた下著の小袖を脱ぎ、姉にも脱がせてこれを籠の底へ敷き、それで水を汲んで易々と七つの甕を一ぱいにする事が出来た。するとこれを見た継母は更に難題を出し、又前の様に、父様とこから廻状来たと云つた。姉妹が、母様何とて読みなさると問ふと母親は、二人の姫共を島流しにしろとの状が来たと云ひ、とうとう二人の姫を船へのせて海の中へ流してしまふ事にした。姉姫が又困つて、こんな果しもない海ン中へ流されたらどうしたりと云つて泣いてゐると、妹の千代姫がいつもの様に、何や姉様泣くことあらに、親に孝行となるなれば、島流しにもならざらに。と姉を励まし、二人して船へ乗つて宛もない大海の沖へ沖へと流されて行つた。

やがて父の長者は三年目には役を済ませ、綺麗な土産物などを買ひ調へて帰つて見ると、娘が二人共ゐない。不審に思つて子供はどこへ行つとうと聞くと、母親が、悪者(ヨタモノ)が来て二人をひつ浚ひ、船へのせて遠くの國へ連れてつてしまつたと云ふ。父親は大へん憂とがつてほんぢやア俺ア六部になつて、もしも二人がこの娑婆にゐるだらば必ずめつけて来る。とその日より六部になり、鐘をチヤンチヤン鳴らしながら二人の行衛を尋ねて行つた。父親はとつちこつちの國々島々をだんだん尋ねて行くと、或る海の上の離れ島に一人の女がゐて、鐘の音を聞くと、どことも知らぬ御出家様、どことも知らぬ御出家様。と手招いて頻に呼び止める。若しやと思つて行つて見ると、惨めに窶れてはゐるもののそれは紛ふ方ない姉娘のおうのう姫で、あれ程気丈だつた妹の千代姫はつい今し方息絶え、姉姫がそれを膝に抱いて泣き崩れてゐる所であつた。父親はびつくりして、お前ン等はどうしてこんなとこへ来とうと尋ね、詳しい一部始終を聞くと自分も胸が一ぱいになつて、共々に妹娘の死骸を抱いて泣いてゐた。所が姉姫と父親との二人の涙が死んだ妹の口には入ると、不思議や妹は忽ち息を吹つかへした。三人は抱き合つて喜んだが、母親のよくない仕方を知ると、嘘だらけのこの世がつくづく味気なくなり、俺らアこれつからは神様にならざアと云つて、姉のおうのう姫は大原明神に、妹の千代姫は三島ノ明神に、父親は箱根ノ権現になつて、それぞれ安気な暮しをしてゐた。すると只一人福原に残つた継母は、三人の幸せを聞いて嫉み、先づ大原明神の姉姫の所へやつて来て、お前ン等ばか神様になつてええか。俺にどうつて一社くりようと無理を云つた。姉娘は困つて、俺一人で取計ふつちふわけにも行かんから、三島ノ明神にも行つて聞いて見て呉りようと答へた。そいから母親が、三島ノ明神の妹姫の所へ行つて同じ事を頼むと、妹娘も、俺一人ぢやいけんから、箱根ノ権現の所へも行つて聞いて見て呉りようと云ふ。一番お終ひに母親が、箱根ノ権現の父の所へ行つて、又同じ事を頼むと、父親は二人の娘達と相談し、お前は諏訪ノ明神にしてやるから一週間待ちろと云ひ、鍛冶屋に云ひつけて太い長い鐡の鎖を作らせ、それでもつて母親を八方より繋ぎ、諏訪の湖ン中へ沈めてしまつた。それからこつち諏訪の人達は、明神のお祭をしる時、御供物に一お鉢づつのお強飯を湖水の中へ沈まかいてやる。もし水中の母親が御機嫌のええ時は水もよく澄み、お鉢の中へ魚なんかとつて入れて浮き上らかしてよこすが、御機嫌の悪い時は湖を真黒に濁らかし、お鉢も何もぶつ潰いてよこすと云ふ。(甲斐昔噺集所載)

『箱根神社大系 下巻』箱根神社社務所
(名著出版)より

追記