蛇塚

原文:神奈川県足柄上郡山北町


岸越地に在り、傳へ云ふ往昔岸より山北に通ずるには、今の般若院側の山腹を踰へて、大祭神峠に出でたるものにて、山麓現在の水田二三町歩は、一個の大沼にて四邊物凄き篠原にて圍まれ、通行の人往々行方不明となりしことありて、土地の人々恐怖せり、領主は川村城内より、八幡神社を其の當時在りし、日月之社内に遷されたり、然るに偶々沼の中島の邊に、白羽の矢立ちぬ、人々怪みて見れば、大蛇の死體なりき、乃ち蛇體を埋めて、塚とし蛇塚と稱し人々安堵せしとぞ、現に高さ四尺周圍拾五間、塚上に榧の老樹を存す。又此の附近に蛙合戰の在りしことありと、今其跡を中島と呼べり、後年此の沼地の南方に溝を開きて瀦水を導きて水田となせるものにや、今に此の溝を道海堀(元は牢海)と稱す。岸湯坂に常海道と呼ぶ處あり、思ふに同一の忠僧にして土地開拓道路交通をなして公益を謀りしものか。

『足柄上郡誌』神奈川県足柄上郡
(足柄上郡教育会)より

追記