七滝の主

原文:神奈川県足柄上郡大井町


東海道線の二宮と国府津の中間に小さな鉄橋があります。その下を流れる川が押切川です。この押切川をさかのぼっていくと、中村川となり、相模武士の一人、中村宗平の活躍した中村郷に行き着き、さらに中村川にそって三〜四里も行くと、川はいよいよ細くなって、両側の山がせまってきます。そして東名高速道路の鉄橋をくぐっていくと、中村と分かれて大井町高尾となります。

高尾は現在二十戸ぐらいの山村ですが、青雲寺や薬師堂あと、観音堂あとなどがあってむかしはかなり栄えたところであったようです。

高尾で中村川はさらに二つに分かれ、右に曲がって山おくに入っていく川が本流で、この本流のおくに棚沢という人家もなにもないところがあります。ここは大小七つの滝が流れており、村人たちはこの滝を七滝とよんでいます。

今から六〜七百年も前のむかしのことです。高尾の東というところに栄左衛門という木こりが住んでいました。

あるとき、手下を一人つれて棚沢の森に木を切りにいきました。何本かの木を切りたおし、のどがかわいたので、滝つぼへ水を飲みにおりていきました。

すると、その滝つぼに一ぴきのかわいいヘビがいました。栄左衛門は、ふといたずらをしてやろうという気になり、そばに落ちていた木の枝を拾って、その小さなヘビの頭をちょいとたたいたのです。ふしぎなことに、そのヘビは少し大きくなったような気がしました。

「気のせいかな。へんだな。」と思って、また頭をちょいとたたくと、たしかに大きくなっていくのです。おもしろはんぶんとたしかめたさとで、なんどかたたいているうちに、とうとうヘビは太さが一升びんくらいもある大蛇になってしまいました。

やがて大蛇はかま首を持ち上げたかと思うと、栄左衛門めがけて、口をかっと開き、まっ赤なほのおをふきかけてきました。

栄左衛門はこしをぬかしそうなほどおどろき、まっ青になって家ににげ帰りましたが、そのときのこわさでとうとう一か月もねこんでしまいました。

村人たちはその話をきいて、それはきっと七滝の主だとうわさしあって、今でも七滝にはだれも近づかないということです。(『大井昔ばなし』昭和五十六年 大井町教育委員会)

『大井町史 別編 民俗』大井町町史編さん室
(大井町)より

追記