箱根山の雨乞い

原文:神奈川県足柄上郡中井町


昔から、半分形の「お天気念仏」に対して、大久保では、「雨乞い」をやった。隣り合う部落同士なのに、やっていたことがまったく逆だったのは、大久保の地層が砂礫層で照りに弱いのにくらべ、半分形は関東ローム層でしけに弱かったからだと思う。

大久保が「雨乞い」で箱根権現さんへ水をもらいに行っていたのは、今から七〇年ぐらい前で、旱りになると部落の代表者が二人で箱根へ行った。行くのには必ず二人で行ったが、それには理由があって、水をもらっての帰りに、どこかで休憩すると、そこの土地に雨が降ってしまうといわれ、交替で休憩するために二人で行った。

三升入れの御櫃に赤飯(おこわ)を入れ、それを背負って朝早立ちで出掛けた。道は大山街道を飯泉まで行き、そこから先きは、今の一号線をとった。箱根に着くと、権現さんにまず赤飯をあげて、その後、権現さんの前から舟に乗り、湖の中に御櫃のまま赤飯を沈めた。御櫃は後で浮きあがってから持ち帰ってきた。水は権現さんに近い湖水のものを貧乏徳利に入れて担いできた。

村に帰ってきてから、水神さんに水をあげた後、みんなで水を少しずつ飲み、それから、笹の葉で水を村の辻々に撒いて歩いた。若者は褌一つになって、「大雨立った、水立った。」と大声で唱えながら、通行人にまで水を振りかけた。

「雨乞い行事」の後、雨が降ると、村中でお祝いをやった。

(田中、曾我騰氏談)

『中井町誌』中井町誌編纂委員会
(中井町)より

追記