お神酒松

原文:神奈川県足柄上郡中井町


「蛇橋」の大蛇にまつわるもう一つの伝説がある。下井ノ口の松本太郎氏が祖父から聞いた話である。

蛇橋のある立沢から急な坂道を二〇〇メートルほど登った畑の中に、一本の大きな姿見のよい松があった。まわりは平坦な地で、目の前に相模湾がひらけ、晴れた日などは遠く房総の方まで望めた。

その松をだれいうとなく、「お神酒松」と呼んでいた。名のいわれは、昔、この地方が小田原藩領であった頃、藩士が検地を終えてこの松の下までくるとその絶景に見とれ、幾日も酒盛りをしたからだという。

ある年の夏、上井ノ口の農家の少女が、畑仕事をしている親達の昼の弁当を届けるために、この松の近くを通った。すると、急に眠気を催したので、つい土手に寄りかかって、居眠りをしてしまった。

少女が居眠りをはじめると、「お神酒松」の枝の上から、大きな蛇が垂れ下がり、少女を頭から呑みこもうとした。ところが不思議なことに、大蛇の口が少女の頭の上までくると、めらめら、めらめらと炎が立ちあがり、そのたびに、大蛇は首をすくめて引き下がった。こんなことを繰り返しているうちに、付近で畑仕事をしていた少女の父親が、子どもの遅いのを気づかい松の近くまで来てみるとこの有様なので、慌てて大蛇を追い払った。

危いところを少女は難を逃れたが、なぜ、少女の頭から炎が立ったかについては、少女の髪を結っていた紙紐に理由があった。

この少女の髪を結った紙紐は、少女の母親が大山不動尊のお札をこよりにして結ったもので、そのお札のご加護であった。

それ以来、少女の家では、前にも増して不動尊の信仰を篤くしたということである。

『中井町誌』中井町誌編纂委員会
(中井町)より

追記