蛇橋

原文:神奈川県足柄上郡中井町


下井ノ口から七国峠へ抜ける道に立沢(井ノ口後沢一七七番地)といって、竹やぶと杉木立ちで昼も暗い沢がある。

むかし、この家の先祖に、笛の上手があった。その人を大蛇が慕って、美女に化けて来て妻になった。やがて一子をもうけて出産の時、産屋の中をのぞくなと戒めたにもかかわらず、ひそかにのぞき見をしたために、蛇体を現わして帰り去って行った。その時、一人の子のために、千両箱を残して置いたのを成人するまでに人に盗まれた。そこで、海の辺に出て、母を呼んでもう一度それを乞うと、あの千両箱は自分の片眼だ。今一つやれば自分は盲になるが、わが子のためならばそれも惜しくはない。ただ目の見えない母の手引きに、一つの釣鐘を鋳て鳴らしてくれといってかえったという。

その沢に一本の丸太の橋がかかっている。この橋を土地の人は「蛇橋(じゃばし)」と呼んでいるが、名の起こりを語った下井ノ口の故松本マス氏(松本太郎氏の母)の話がある。

「むかし、小田原藩のさむらいが、五分一に年貢か何かの調査に来た時の話だ。部落といっても、その頃は五分一村だったけど、その東の沢を渡ろうとしただと。ところが、ちょうど大雨の後で水が出ちゃって渡ることが出来なかった。そしたら、そこへ、ふてーえ丸太が流れてきて、こっちから向こう岸へ橋のようにかかった。そんで、こりゃいいってんで向こう側へ渡った。渡ってから振り返って見ると、その丸太がズルズルと動き出しただと。ようく見てみんとそれはとてつもなくでっかい大蛇だっただと。それで、そこの所を蛇橋と呼ぶようになっただと。」

(『広報なかい』第一九〇号、昭和五十六年三月五日発行、「なかいむかしばなし」中井中学生の調査による。)

この橋は今でもあるが、猟期になると鉄砲打ちが通るか、山芋掘りの人が通るぐらいだという。

五分一の清水正太郎氏の話によると、以前はよく畑へ行くのに渡った橋であり、正太郎氏の祖父の惣吉氏からも、蛇に人が巻かれた話を何度も聞かされ、遅くなると蛇(じゃ)がはしる」といって、畑仕事を早くしまったという。

『中井町誌』中井町誌編纂委員会
(中井町)より

追記