国府祭の由来

神奈川県中郡二宮町


天孫降臨以前悪神横行し善良なる民を苦しめるため天照大神悪神膺懲の意味で五人の息子を持つ寡婦の女神を下し給ふ 長男は寒川、次男は川匂、三男は比々多、四男は前鳥、五男は八幡で母は国府の柳田神社に止まり毎年一回女神の下に会して作戦計画やら其の御代の方略を授く、頼朝は此の神話に基き神揃山に重臣を集めて参謀会議を開いたとの説なり。

『二宮町風土記』(二宮町教育委員会)より

追記

近古の国府祭の由来は、概ね上のような筋で捉えられていたものと思われる。この戦功の扱いでもめているのが国府祭の座問答だ、などとなる。頼朝が出てくるのはいささか急だが、そもそもこの祭には、頼朝を擁立した中村党の意向の反映したものという面もある。

柳田神社というのが総社・六所神社のことで、ここへの国司の参拝を源とするのが国府祭だという話と、相模一宮から四宮と五宮格の平塚八幡の神々は兄弟姉妹(の蛇)で、年一回母のところに集まるのだという話(「国府祭」)の両方にまたがる筋ともいえる。