長者ヶ崎

原文:神奈川県三浦郡葉山町


下山口の海岸南限に突出した岬で、その先に鵜が崎(別称尾が崎)がある。

大崩古戦場の険崖を南にし波涛脚下を洗う葉山の代表的の風光で〝東洋のリビエラ〟を自認する所でもある。

治承元年(1177)六月末伊豆蛭ヶ小島に配流中の頼朝は三浦大介の招きで三浦へ微行しこの長者ヶ崎付近に休んだ時、案内役の芦名三郎為清は「今は昔此のあたりに某の長者ありて、木の実を蒔き木の苗を養いて、山にも海辺にも隈なく大木を植え候程に、年月経てよく生今は育ち、その山を葉山といひ其の松原を長者ヶ崎といひ、其の邸を長者邸と呼び候。子産石は長者が子無き婦人達に訓え、子宝を得させ候遺称にして、立石は長者が遊覧の遺跡、長者窪はその館の遺趾と伝え候、」と古書の伝えることを詳しく語ると頼朝は黙々とうなずいた。と伝える史跡でもある。

長者ヶ崎絶壁の白色の層は〝チャート層〟とよばれている。ここは断層と向斜構造研究の適地で地層観察の教科書そのものといわれる。

 遅き日の輝く鳥の羽音かな。

〝長者ヶ崎の夕照〟は葉山八景の一つである。

『葉山町郷土史』高梨炳
(葉山町)より

追記