龍の夢

原文:神奈川県綾瀬市


あの柿の木(庭にある柿の木を指差して)に、夢だったんだけど龍がふたぁつおりて。その龍が、ふたぁつ首を一間ぐれえおったってね、両方で手を出して、ふざけてるんだか何してるんだか、すごいそれがきれいだったの。それでね、あたしが「みんな見ろやきれいだよ、龍が何だかふたぁつおりてね、なんかしてる」って、家の者を呼んでるうちに、夢だから覚めちゃったの。

そしたら、その年かな、その来年かな、終戦時分か、四十五、六(現在の年令)になってんだね。その子が三つか四つん時おぶってね、柿の木のちょっとこっちかまで物置があったの。で、豚がそっちの方にいたから見せ行ごうと思ったの、おぶってね。そうしたら、物置の隅の方からおっきな蛇が出てきたの、青大将ってこんな大きなの。そいで「あら、こんな蛇が出てきたよ、やだなあ」と思って、ここじゃあ、こんなおっきいんじゃあ、呑まれちまうと思って、逃げようとしたら逃げられないで、そこへひっくりかえっちゃったの。そうしたらその蛇がね、あたしのお腹の上をズルズル通るんだよ。夢でも気持ちわりいでしょ。そうして、呑まれなくてよかったと思って、立とうと思ったの。そうしたら、また一匹出てきたの、同じとこから。それでそれが、立とうと思っているうちだから、またお腹の同じとこズルズル這って、呑むとか何とかじゃあなくって。その蛇が通っているうちにね、お腹がポカポカポカポカあったかいのよ、蛇のあったかみでね。そしたらそれがね、おっきなムギワラのツクテに潜っちゃったの、先のがね。そうして、「あれよ、あんなとこ潜っちゃったよ」なんて思っていたら、またあとの一つの、その、ツクテん中潜ったの。そうしたらそのツクテがね、モクモクモクモクもちゃがっちゃってね、隅っこ入っていぐんだけど、入ってもちゃがんのがわかんの。後は「気び悪くてやだったなあ」と思ったけど、そのうち何でもなくって、そんで忘れちまうでしょ、そんなこと。呑まれもしなきゃあなにもしらいないんだから。で、その前にもまだ夢を見たことあんの。蛇でこんなおっきいのがね、トグロ巻いてるんですよ。「やだなあ」と思って戸を閉めちゃあね、座敷なんか這いずってこないの。そんなの二、三回みたんだね。

(中略)

で、「なんだべ、ここの家は」と思ってね、「気び悪い家だなあ」って思い込んでたの。そしたら昔ここの家がね、貧乏して家を売り払って、どっか都会へ行っちまいたらしいんだね。そんでそのあとだってぇから、そんじゃあなんかの祟りでもあって、「こんな蛇が、家のまわりへいくらもいんのかな、やだなあ」と思ってたの。

で、ある時、普請すんだかなんだかでね、他の事でみてもらい行ったの。みてくれる人が岡田(厚木市)ってとこにあって、でさ、そのおばあさん五八とかっていわれた、そん時ね。何気なくあたしがね「あたしゃこの間こんな蛇の夢をみてね、すごく気持ち悪かった」ってゆったの。そうしたら「あんた蛇が飛び付いてきたか」っていわいんからね、飛び付いてなんてはこなかった。

(中略)

私が頼むともいわなかったけど「そんな夢は珍しいから、じゃあみましょう」ってね。拝んでくれらいたら、あんたそれは龍でね。どこだっけね、遠くの国で、よく龍が出たとこあるんですよ。そこから龍が空を飛んできたっていうの、白龍ってんで。飛んできて家の木へ休んだっていわいんの。インドか、インドにあるんだね、そういうの。飛んできて家の木へ休んだからね、立派な家を作ってくれとはいわないけど、雨露しのぐところをぜひ作ってくれっていわいんの。

みてくれなんていわねぇのに。こりゃあ大変な事になったな、社を作ってくれっていわれるんだと思ったの。そんで、こうやって考げえてたら、そのおばあさんがね、神様のり移ってんからね、恐ろしいような感じで「作ってくれるかくんないか」って、じいっと見てらんの私を。私もおっかなくなっちゃってね「立派なものは出来ませんけど形くらいのもんなら、これから帰って主人に頼んで作ってもらいます」ってゆったの。そうしたら「雨露しのぐだけでいいから、ぜひ作ってくれ」って。で、しょうがんないから家へ来て、それ話して、おやじさんにね。「そうかそんなら、すぐ作れっていうなら、でえく(大工)さん頼んでこべぇ」ってわけでね。そいで、早速、立派なもんじゃあなねぇけど、作ったのよ。

そんで「入口を長くして、高いとこへ祀ってくれ」て。ちょうどその人のいわいるように、ちょうど高いとこあんの、そっちの方に。そっちの方へ、社ってことはねえ、お稲荷様ぐれぇのものを作ってもらって、お祀りしたのよ。そしたら「法華に祀れ」っていわいんの。家はお念仏なのね。だからそんなことしていいのかななんて思ったけど、そういわいんから、じゃあしょうがんねえと思って。いくんちに祀ってくれっていわいるんだんべなと思って、また、名前も付けないで祀れなかんべって、聞きに行ったのね。そしたらこういう(大善神弁財天)名前で、こうこうにやって、二月の一日を命日にして、毎年お祭りしてくれっていわいんの。それをいわいる通りにやったの。

へえいく年めぇ(前)でしょうよ、三〇年以上たつんだね。そしたら「もし祀ってくれたら、末代お宅の家栄えますから、孫子の代まで栄えるからぜひ祀ってくれ」って、その神様いわいるっていうの。そうしたら、まあ悪い事もなく、ふんとにまあいいんすよ。悪い事なんてちっともなくってね。(女 明治三十七年生)

※中略は元資料上のもの

『吉岡の民俗』(綾瀬市)より

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