星谷寺観音縁起

原文:神奈川県座間市


推古天皇の時代に北東の明王堂がにわかに震動し、里人は驚いて本堂で万巻の法華経を読誦した。すると空中に音楽や歌が聞こえ花が降って、かたわらの老松のこずえに金色の観音があらわれた。そこでここに堂を作り正観音を勧請し観音堂となづけ、日夜、法華経をあげていた。

するとその東の蛇谷というところに蛇の穴があって大蛇が住み、その大蛇がやってきてしきりにのぞき見る。観音堂で僧が法華経を読んでいるので、大蛇は近づくことができない。その後、ある夜、黒雲が巻起こりその中から蛇があらわれ「この山奥に住む蛇だが、たまたま法華経読誦のご利益により、ようやく成仏することができた。ああ、大慈大悲。」と唱えて消えた。とたんに黒雲もたちまち四散し、堂前の池に月・星が映るほどの夜空になったという。そこで僧は
 障りなす迷いの雲を吹き払い
  月もろともにおがむ星の谷
と詠じた。これが坂東八番観音のご詠歌となっている。

天平年間に僧行基により八寸五分の正観世音座像を刻み本尊としたが、後に相模原の野火の延焼で本堂も消失してしまった。この時、本尊は火災を避け字一本杉にあった老杉上にあって、光を放ったという。そこで以後、そこに堂を移した。文治年間に源頼朝や北条氏も帰依し、寺領などを寄進したという。

『座間市史6 民俗編』(座間市)より

追記