有鹿の輿巻

原文:神奈川県海老名市


真夏の太陽がおしみなく照りつけ既に一ヶ月も雨が降らず畔の道芝さえ撚るばかり……。田植はしたものの田は甲羅の如く裂し、農民達は毎月照りつける空を仰ぎ嘆息ばかり。西の彼方、大山の峰も雲ひとつなし。

有鹿郷主が供の衆連れ神霊を奉じ、磯部の里勝坂水源の神に六十五日間の水引行事も恙なく済ませ有鹿の里に帰る途中、座間・桜田にさしかかると数名の農民達が枯死寸前の我田に水引のため、チョロチョロ流れる川を堰止め乍ら争っている。

御神霊の供達は争っている農民達に対し、下流の人達も同じ水不足に悩んでいるのだとさとし戒めると、農民達はいきり立ち「六十五日間御水引の行事が済んだとて雨の一滴も降らず……」と悪口を言い、持っていた農具で神輿に襲いかかり、供の衆は神輿に近寄らせまいと大騒ぎとなった。

その時、一天俄かにかき雲り、空をつんざく稲妻と雷鳴あり……

何処より来たものか? 大きな蛇が神輿を幾重にもとり巻き、乱暴する農夫達の眼前に頭をもちあげた。大蛇の怖さと雷の恐ろしさに農夫達はびっくり仰天、地にひれ伏し、酔眼もうろう……。

幾刻すぎたであろうか。ふと気がつくと目の前に後光がさし、姿は見えねど静かな声でおもむろに
「水は一人のものにあらずや、我は有鹿谷霊泉の神なるぞ、しばらく辛抱せよ、水は万民に余す如く与えるであろう。諸人争うことなく時を待て」
と、まぼろしの如き神のお告げ夢うつつと聞く。

農夫達はようやく我に返り、頭を上げ空を見渡せば、日はトップリ暮れ、東の森の上には月が昇り星も光っていた。目早に田の面を見れば、アラ不思議や! 一面に水が滴り、川は瀬音を立て、水は流月の光で鏡のよう。稲は青々と葉面はすでに露を持ち、あたりに真珠を蒔散らした如く。蛙は友を呼び、その声は声を囁いているかは知らねども、遠く近くに合唱している。

農夫達は今の出来事を共に語り合いながら家路にと急いだ。我家に帰り今日の不思議な出来事を家族に、隣近所に、つぶさに語りたりという。

事件は一六五八年万治四年旧暦六月十四日のこと。この不思議な事をば座間地方住民の先祖が伝えし。地名も誰かが語るままに、座間農協の付近から北西方を有鹿の輿巻と言う。(上郷 高橋勇)

『海老名の史跡探訪』
(海老名市農業協同組合)より

追記