竜灯の松

原文:神奈川県海老名市


元禄十二年(一六九九)に今のところへ移築された国分の清水寺は、寺号そのものに水にゆかりがあるとおり、古くから水堂と呼ばれていた。本尊はご存知のように国の重要文化財の指定を受けている千手観音である。

明治の中ごろまで、この寺の仁王門の前に大きなすばらしい松が、そびえ立っていた。この松の東南方約五〇〇メートルのところに滝があった。それは田に水を引くために目久尻川をせき止めてできたもので、四六時中どうどうと勇ましい響きをあげて落ちていた。そこは国分、望地、柏ヶ谷の三つの村の境で人々は「お滝」と神聖化して呼んでいた。

むかし、このお滝の主として滝つぼをおおう茂みに一匹の竜が住んでいた。そして夜ごとに清水寺に通い、かの門前の松の梢高く法灯をかかげては、一心に観音様に仕えていたのである。竜はこの明かりによって、村人が観音様の法力を信じ、ひとしくありがたいお導きに浴するようにとの願いを持っていたのである。この願いは村人にも通じた。毎夜この松に上がる灯を見ては、だれしも賛嘆随喜し、果ては魔か不思議な思いにかられるのであった。それで、だれ言うとなく門前の松を「竜灯の松」とあがめるようになったのである。

ある年のことである。南湖(現在の茅ヶ崎市内)の一漁師が漁に出たところ、朝は穏やかであった空が一変して雲行きが怪しくなり、やがて大しけになってしまった。舟は木の葉のように揺れ、あがけばあがくほど沖へ沖へと流されて行くのである。懸命にこぎもどそうとするのであるが、自然の力にはとうていかなわない。そのうちにとうとう夜になってしまい、どの方向に舟を進めてよいやら全く見当がつかなくなってしまった。一寸先も見えぬ大海原をさまよい始めたのであるが、何時間も波風と戦っていたので疲労は募るばかり。ついに力尽きてとうとう舟の中に倒れ伏してしまった。

すると夢うつつの中に日ごろ信仰していた水堂の観音様がお姿を現わされ、同時に竜灯の松をありありとお示しになり、「われいま汝の海難を救わん。この松をこそ目指し、こぎ帰るべし。ゆめゆめ疑うことなかれ」と声高らかにお告げになった。ぱっと目を覚ました漁師は、さては観音様のお導きよ、と勇気を振るい起こしてはるか北方の竜灯の松を目当てにこぎ戻り、難をのがれることができた。

以後この人はますます観音様のご利益を信じ、前にも増して信仰を厚くし、欠かさず月参りを続けた。子孫の方も代々これを見習って今日に至っている。現に今年の三月十七日目のご縁日にも献灯料を喜捨して行った。

竜灯の松の写生図に由来を書き添えた大絵馬が本堂に奉納してあるが、樹肌がたいしゃ色に彩色してあるので、赤松であったように思われる。枝下をあらわに高々と、しかもまことに素性よく伸びた姿は、いかにも名木の面目躍如たるものがある。このほか、境内には「里うとう松」と刻み、享保十年(一七二五)に建てられた一メートル足らずの碑が残っているが、これを見てもありし日の霊徳をしのぶことができると思われる。(池田武治)

『海老名むかしばなし 第1集』
(海老名市秘書広報課)より

追記