赤池と片葉葦

原文:神奈川県海老名市


国分寺台団地ができて、地形はすっかり変わってしまったが、造成前は現在の南北に走るバス通りの少し東の辺りに「堂山堀」という小溝があった。

その上流、東と西の台地にはさまれた湿地が水源地で、昔、その湿地の中央に周囲三十〜四十メートルほどの池があって、水辺には赤茶けた水垢がクラゲのように淀んでおり、そこに生える葦は水渋で根本がみんな赤く染まっていたので「赤池」と呼ばれていた。

どんな日照りでも水がかれることはなく、周りには三メートルもある葦が一面に生い茂り、正体の分からない主が棲んでいるといわれ、近づくと池に吸い込まれるような気がして、気丈な者でもその近所には長くいられなかったということである。

時代ははっきりしないが、若い修業僧がこの池の近くに庵をむすんで、日夜、読経三昧の修行をしていた。

満月の夜のこと、赤池の方から不思議な笛の音が聞こえるので目を凝らすと、僧衣に似た袖の大きい黒い衣服をまとった女が水面に立って葦笛を吹いていた。顔も襟元も抜けるように白く、髪は水につかるほど長く垂れていたが、下肢の半分は水中に没していた。

魔性が修業の邪魔をするものと思った修業僧は、それを無視して一心に読経を続けていると女はやがて葦の葉をむしり取っては庵に向かって投げ始めた。

夜っぴいて葦の葉を投げ続けた女は、夜明け近くになると水中に姿を消したが、それからは毎晩現れては葦笛を吹いたり、葦の葉をもぎ取って投げたりした。

しかし、この黒衣の女は池の外へは出ないので、池に面している一方の葉だけが取られて、池の周りの葦はみんな片葉になってしまった。

次の満月の夜、岸辺に近づいた女は、
「私は高僧の修業を妨げるつもりはございません。お願いしたいことがありますので、こちらへお心を向けていただきたくて葦笛を吹いたり、葉を投げたりしたのでございます。私はカラス貝の化身で、稚貝の折、水鳥の足につかまれてこの池に運ばれてしまったものです。そして何百年もの長い間この池で孤独な生活を続けてまいりましたが、その間に女に姿を変える術を得て、しばしば水面に現れては孤独を訴えました。でも、かえって魔性の棲む池と恐れられて近づく人もなくなってしまいました。どうぞこの孤独地獄に苦しむカラス貝のために尊い経文をお聞かせください」とさめざめと泣くのだった。

僧は黒衣の女に向かって提婆達多品を声高く読誦した。読み終わった時、「経文の功徳によって解脱することを得ました」と、女は黒衣を脱ぎ捨て、輝くばかり美しい白衣の菩薩となって空中に消え去った。

それから、主のいなくなった池は次第に埋まって一面の湿地となってしまったが、その後ここに生える葦はみんな片葉になっていた。

造成前までここに片葉葦が生えていたことは、森文三氏をはじめ、地元の年輩者はたいてい知っている。(小島直司)

『海老名むかしばなし 第3集』
(海老名市秘書広報課)より

追記