沼目の入定塚

原文:神奈川県伊勢原市


沼目六六三番地の現在、八十耕地というところは、昔、古賀の渡しと称したところである。そのそばの、上平間字堤の台地に舟つなぎ松という古松があり(何代目か)昭和四十二年の大風に折れてしまったが、昔、この渡しに道を造るため埋立てを始めた。毎日盛土をしても毎夜一夜にしてあとかたもなくなるので、これを確かめようと或る人が見にゆくと、一匹の小さな蛇がその盛土をくずしているのを見た。その人は、この蛇を殺してしまった。そしてこの道は完成されました。

しかるに、その人は子供が無かった。ある日、一株の見事な自生の菜を食したところ妻が妊娠し、その子が十才位の時夭折してしまった。非常に悲しんだが、出羽の羽黒山に行けば、その子が樹上にて笛を吹いているのに会えるとのことであった。

羽黒山に行くと笛を吹く樹上の少年が見えるので近よると、少年は「仇くさい」と云って消えてしまった。つまり少年は、蛇の化身であった。故に入定して後生を弔ったと云う。

最近、その塚が開発され、土中より甕が出土した。中に書類があったが、腐蝕して文字は判明しない。塚に観音像を刻んだ墓碑があり、安永と判読できる。伝説より新しい物だが書類の腐蝕は惜しまれる。毎年三月十一日に供養がある。

(太田第二寿楽会 中村良平 81才)

『郷土の昔ばなし』
(県央福祉事務所)より

追記