深見神社

神奈川県大和市


武甕槌神東国鎮撫のため、常陸鹿島に在られし時、舟師を率いてここに進軍され、伊奘諾神の御子倉稲魂神、闇龗神の二神をして深海を治めさせられた。雨神は深見を治めて美田を拓き、土人を撫して郷を開かれた。

『大和地名考』富沢美晴
(神奈川新聞社出版局)より

追記

『総国風土記』にある上の一文が縁起として続く各資料で繰り返される。この大和市の総鎮守である深見神社は、式内の深見神社であるとされるが、近世より鹿島神を祀り、明治まではもっぱら鹿島様であった。故に、式内の深見神社のご祭神が武甕槌神というわけではない。

それではもとは何の社であったのかというと、境内に「おくら稲荷」の祠が祀られており、闇龗神であったのだろうといわれてきた。そして、平成二十四年に晴れて主祭神が闇龗神であるとされた(上の文中「雨神」も闇龗神のこと)。

もしこの変遷が妥当な話ならば、闇龗神をその名で祀った周辺では珍しい古社ということになるだろう。そして、また別に少々竜蛇に関係するかもしれない伝説もある。

深見神社は「田道翁」なる人物が祀ったのだ、という話があるのだ。『式内社調査報告』の方でも「一説に、昔、深見郷にタジの翁といふ者がゐて、はじめて深見の神を祀ったのが当社(深見神社)の創始であると……」と「タジ」と読ませて紹介しており、これは一応頭に入れておきたい話ではある。