龍潭淵

原文:神奈川県厚木市


厚木市小野に臨済宗龍潭山聞修寺がある。神仏分離・廃仏きしゃくの厄に会い、小野部落並に岡津古久の人々が神式葬祭に改宗した為に一時廃寺同様になった事がある。同寺はその昔、足利尊氏の開基になり、室町中頃は三十四院の塔頭(子院)のごう荘な建物がこの岡に立並んで栄えて居た。しかるに戦国時代の末、後北条氏の七沢城攻撃の際、同寺の山門を残して烏有に帰したと伝えられる。同寺の庭は禅宗の庭園がつくられ、その中にあった龍潭(りゅうたん)の井戸は玉川の淵まで続き、龍潭ヶ淵と称して居た。この玉川の淵には片葉の葦が一めんにはえて河童が住んで川遊びの子供達に悪戯をしたと云う。この淵と井戸とは一条の水でつながって居たので、井戸からは時々、河童が頭を出して墓参の人々を驚かせたとの伝説もある。旧厚木村の小鮎川辺にも厚木の七不思議説に数えられる片葉の葦があった。

『厚木の伝説・厚木地名考』
鈴村茂(県央史談会厚木支部)より

追記