龍潭淵

神奈川県厚木市


小野の龍潭山聞修寺(臨済宗)は、廃仏毀釈の際に廃寺同然となったことがある。足利尊氏の開基になる大寺であったが、後北条氏の七沢城攻撃の際に、山門を残して烏有に帰したと伝えられる。

この寺に禅宗の庭園があり、その中に龍潭の井戸があった。井戸の底は玉川の淵に続き、龍潭の淵と呼ばれていた。この淵には片葉の葦が生えており、泳ぐ子供に河童が悪戯をした。また、通底していたので、寺の井戸からも、時折河童が頭を出して人々を驚かせたという。

『厚木の伝説・厚木地名考』
鈴村茂(県央史談会厚木支部)より要約

追記

山門は今も残り、厚木で最も古い寺社建築物といわれる。井戸の現在は不明。片葉の葦に関しては、厚木には河童が詫びる話で、自分たちのいるところの葦は片葉にしてわかるようにする、と語るものがある。

ともあれ、竜蛇は出てこないが、肝心なところが欠けている話ではないかと思うので記録しておく。ただ河童が出るというだけでは淵と寺の井戸の繋がりが胡乱だ。これは、椀貸しの話だったのではないか。

信州佐久落合の慈宗寺善光寺の話などでは、淵に繋がる井戸に入用な物を頼んだというのだが(「起因の井戸」)、龍潭の井戸・淵には、そっくりそのまま同じであっても良さそうな雰囲気を感じる。

相州は丹沢の南となると、椀貸しの伝説をまず見ないので、これが小野にあったとしたら、注目すべきものとなる。