越中へ行った大蛇

神奈川県厚木市


昔は越中富山の薬屋がよく回ってきていた。ある年の夏、飯山の千頭を訪れた薬売りが、面白い話をした。薬売りの国のある家の女中が語ったのだそうだが、女中は、自分は相模国は飯山村の亀井に住んでいた大蛇なのだ、といったという。

昨年夏の大水で、亀井の弁天祠が流され、大蛇ももろともに流された。それで海を渡って越中に流れ着いたのだという。それで薬売りは飯山に来てたずねると、実際亀井に弁天が祀られてあった、と。越中富山の方にも弁天が祀られているという。

『厚木の伝説・厚木地名考』
鈴村茂(県央史談会厚木支部)より要約

追記

千頭は飯山内の小字で、小鮎川流域となる。亀井は更なる小名だろうが、新編風土記にも見えない。平成三十年出版の『厚木の口承文芸』(厚木市教育委員会社会教育部)には石祠の写真が見えるので、現存しているらしい。それにしても、弁天さんといえばまま流されるなどして移動するものだが、相州から越中へという尺度の話は類例が思い浮かばない。

単純に考えれば、飯山から富山に越した家でもあったか、というところだろうか。しかし、越中富山というだけでは広すぎて、一体どのあたりに件の女中がいたものかわからない。そちらの詳細を追う過程で、本当に相州飯山由来という弁天さんがあったら、中々に面白い話になるだろう。