うなぎ観音

神奈川県厚木市


岡田には南北朝のころの新田義則の財宝が埋められたという要石があり、その碑がある。この要石のあるところは観音免と称し、観音堂があった。同所にあった地蔵堂と合わせて南に移し、貞応二年に補陀洛院が建立され、後に岡田山永昌寺となった。

この寺は通称うなぎ観音と呼ばれている。毎年四月十八日の祭りに、寺前の用水堀にうなぎが群集し、首を持ち上げ観音様を参拝するように見たという。これらのうなぎが、祭日堂に昇り白うなぎと化したという。

『厚木の伝説・厚木地名考』
鈴村茂(県央史談会厚木支部)より要約

追記

永昌寺は今もあり、鰻観音の伝は『新編相模国風土記稿』に見える(岡田は大住郡)。ただし、「鱣観音」とあり、群集するのは「鱣」とある。これは淡水という部分を限れば、田鰻のことだ。

田鰻は鰻ではないが、この話がどのような意図で鱣としたのかは不明。使姫の魚たちが群集して参詣するというモチーフは色々にあるが、鰻の話として語られたものか、あえて鱣のこととして語られたものかで意味も変わってくるだろう。

また、前段に語られている「要石」と関係があるのか、という点がまた気になる。この要石は新田義則の財宝が埋まる伝説の場所ということで、鹿島の要石などとは趣が異なるが、「要石といえば」という感覚は相模にも十分あったと思われ、意識されなかったというのも不自然だ。

鹿島の要石といえば鰻ではなく鯰を抑えているものだが、鹿島と鰻は関係しないかというとそうでもない。銚子のほうには鰻たちが鹿島詣をするという昔話がある(「鰻の鹿島詣」)。もともとこれは「鰻の話」だと岡田でもいっていたのなら、参照されるだろう。

永昌寺近くには三島神社もあるので(伊豆三島・例祭は四月中旬)、鰻ならばあるいはそちらからか、とも思うが、「あえて鱣」であった場合はどうかというと現状まったくわからない。