池の島弁天様由来記

原文:神奈川県秦野市


大正十二年九月一日の関東大震災のおきる少し前のこと。当時、妙相寺の境内地にささやかな弁天様の祠があった。その祠の辺りに住みついていた蛇が、境内に隣接して住んでおられた水島家の土間にたびたび現われては、その真赤な腹を出し、そして自分の巣へと戻っていった。

こうしたことを度々繰り返している蛇の姿に、水島さん夫婦は日頃から信仰の深い人だったので、ひょっとすると弁天様が蛇を使者に仕立て、自分達に何かを知らせにつかわされたのではないかと考えられ、近い中に変ったことが起きなければよいがと心配された。そうして、非常時に備えて米を沢山ついておかれたそうです。

それから間もなく大地震がやって来た。幸にも秦野の町の大火にも類焼を免がれた池の島周辺の人達は、これ一重に弁天様の加護によるものと深く感謝し現在、妙相寺境内地に大きな池を造り、その中央に弁天様を祭った立派な祠を安置したのでした。そして九月一日の震災を末永く人々に語り伝えるべく、毎年その日に池の島弁財天の祭礼を賑やかに行っております。

仲宿ときわ会 宇山幸治

『秦野むかしがたり』
(秦野市老人クラブ連合会)より

追記