池の島弁天様由来記

神奈川県秦野市


関東大震災のおきる少し前のこと。妙相寺の境内にささやかな弁天祠があり、蛇が住み着いていた。この蛇が、隣家の土間に度々現れて、その真赤な腹を出し、また帰っていく、ということが繰り返された。

その家の夫婦は信心深かったので、これは弁天様が蛇を遣わして、何か知らせているのではないかと心配した。それで、非常時に備えて米を沢山ついていたのだそうな。

すると間も無く大地震が起こったが、秦野の大火もこの池の島周辺は免れたという。これも弁天様のおかげと、妙相寺に大きな池を掘り、立派な弁天様の祠を安置した。そして、この記憶を末長く語り継ぐべく、震災のあった九月一日を祭礼とした。

仲宿ときわ会 宇山幸治

『秦野むかしがたり』
(秦野市老人クラブ連合会)より要約

追記

場所は元町の妙相寺に相違ないと思うが(南に池之島会館と見える)、現在はもう池は見えない。一応祠らしきものは境内に見えるが、弁天であるかどうかは不明。

しかし、関東大震災を告げた蛇がいたので震災の日九月一日を祭礼とした弁天、というのはまず見ないものだったのではないか。この周辺が大火を免れたという記憶は相当強いものだったらしく、妙相寺から徒歩五分という近くの古峯神社さんにも、故に震災の前日八月三十一日を例大祭とした、という話がある(社頭掲示より)。

古峯さんのほうが火伏の神としては格別なので、そちらが元かとも思うが、ともあれこれらの慣習が廃れてしまっているのだとしたら、惜しいものではある。