中将姫伝説と地名由来

原文:神奈川県秦野市


中将姫の織られた幡が白幡神社から飛び出してこっちに向かってくると、善波太郎が弓を射ようとしたが、そこはちょっと窪地になっているために、弓を引いても幡が落ちない。そこで弓不引(ゆみひかず)という地名になった。弦湿(つるしめし)ってところがあって、そこは善波太郎が弓の弦を湿した、ちっちゃい水たまりがあったところだとか。そして、浅間山に上って岡崎の矢崎の方向に向かって射たら、弓の鈴が落ちて、そこが鈴川になったなんてことは聞いておりますがね。

いま、日向薬師の国宝になっている、中将姫が織られた蓮の曼陀羅が、落幡へ落ちたんだと言っているんです。私にはひいひいばあさんになるのかね、そのばあさんの実家が西光寺のそばにあって、その家で保管していたらしいんです。それが、その兄さんのときかなにか、日向薬師さんの開帳の日に、カギを持ってその曼陀羅を開けに行く、それがわずらわしいというので、その後、日向薬師に預けちゃったんだろうと、私の父がよく言ってたんですよ。西光寺は幡松院って山号だから、こういったことから起こっているんじゃないかな。(鶴巻)

三廻部に、善波太郎の矢が落ちたから矢去(やさり)という名のついた土地がある。(三廻部)

往古、善波太郎当所にて幡曼陀羅を射落せしより、地名起れりと云、俗説あれど土人は伝えず。(『新編相模国風土記稿』巻之五〇)

『秦野市史 別巻 民俗編』(秦野市)より

追記