くもがふけ

神奈川県秦野市


池や沼、深田のことを土地では「ふけ」といった。そのふけが丹沢の山奥にあったという。その昔、曾屋の鉄砲ぶちが丹沢の山に入り、一服しようとふけの縁に腰をおろした。そして、疲れていたのか、居眠りを始めた。

すると、寒気に襲われ何かにひかれる感じがするが、眠気に勝てず、また寝てしまった。それからまた数分し、足先がむずむずするので目を覚ますと、真白い太い糸が親指に巻き付いており、糸先はふけの水底に通じ、そこには大きなクモが巣をはっていた。

これは命の一大事、と鉄砲ぶちは糸をそばの大木の枝に結わえかえた。と、途端に大クモが糸を引き、大きな音をたてて大木が引きずり込まれ、クモは下敷きになった。鉄砲ぶちはこの時とばかりに一目散に逃げ帰り、それ以来、そのふけは「くもがふけ」と呼ばれるようになった。(本町 上田モト)

『丹沢山麓 秦野の民話 下巻』岩田達治
(秦野市教育委員会)より要約

追記

その「ふけ」が丹沢のどこにあったのか、もう知る人はいないという。ともあれ、丹沢の山中にも、この糸をかける蜘蛛の話があった、ということだ。蜘蛛が水中に巣を張っている様子が面白い。

地域的な連絡ということでは、その丹沢山塊を北に越えて、甲斐郡内の「次郎太ふち」の話などがある。くもがふけのほうにはないが、次郎太ふちのほうには、物言う魚のように声がかかるシーンがある。