うなぎの目はこんな目に

原文:神奈川県秦野市


「土用の丑の日」と言えば「うなぎ」「うなぎ」と言えば、すぐ高価なものと誰でも思われるでしょう。

その高価なうなぎが日中のうのうとして穴から顔を出し、我が世の春とばかり歌をうたってくらしていたと言うから不思議なことではありませんか。

曾屋村をちょうど二分するように北と南に分け、村の中央をきれいな小川が流れていました。〔関東大震災で破壊し整理されました。〕村の人達はその水を使って朝な夕な食事の支度をしたのですから、日常の生活から欠かすことのできない大切な水でしたと。

水源は井明神様(現在の曾屋神社の所)にあって、四季を通じて豊富な水は冬はあたたかく、夏は氷のように冷たく、また水のおいしさは天下一品でした。

そんな訳で村人達は
「神様のお恵みの水」「お恵みの水。」
と、言って非常に尊んでいました。

それもそのはずです。本町地区はいくら井戸を掘っても一てきの水も出てこない土地柄なのですと。ですから、「お恵みの水神様」井明神様をそこにお祭りしたのかもしれません。

その恩敬に浴して大きなうなぎ達がにょろにょろと泳いでいたと言うことになります。

まだあります。

「神様にいただいた水にすむうなぎを食うと目がつぶれる、たたりがあるぞ。」
と、伝えられむかしからだれ一人神様のうなぎをとった者がいなかったからです。

夕方など川端で鰯など洗っていますと腹わたの流れてくるのを待ちうけのんびりと食べていたのです。時には待ち切れず、ざるの中の小魚に目をつけくわえて逃げていったつわものもいたそうですと。

こんな風にして全くのうなぎの天下でしたが、世の中のたとえ、
「おごる平家は、何とやら。」
この天下もいつしか終りが近づいたのです。

いつの世も風変わりの人がいるものです。

「おんの目と神様の力と比べてみんべぇじゃねぇか? どっちがつええか。」
こんなことを言い出し、とうとう人の止めるのも聞かずザブンと川の中に入り込み、大きなうなぎを何びきも何びきもつかまえてしまいました。そして焼いては食べ、炊いては食べてしまったんですと。

何の不思議なことも起こりません。

「おんの目はつええんだ。おんの目は神様に勝ったんだ。」
と、村中に言いふらしました。

このことを聞いた村人の中には、
「ではおれも一つ、おんの目と比べてみんか。」
と、あちらからも、こちらからも挑戦者が現れましたと。

どうしたことでしょうか?

誰一人「駄目ージ」を受けた者はなく、目がつぶれた人はいませんでしたと。

そんな訳でうなぎ達は連戦連敗、ついに神様の小川から全く姿を消してしまったと言うことだそうです。

本町 遠藤モトさんより伺いました。

『丹沢山麓 秦野の民話 下巻』岩田達治
(秦野市教育委員会)より

追記