川梵天・山梵天

神奈川県秦野市


名古木の上原・西沢では九月に梵天講をしてきた。特殊な形の御幣を四本作り、梵天社への入り口・川梵天に一本立て、残り三本を梵天社・山梵天の石祠の後ろに立てた。

昔、西沢では火災が多かったので、どの家でも箪笥や長持などに棒をしばりつけておき、いつでも持ち出せるようにしていた。その頃のこと、川梵天の場所にあった杉の木に蛇が巻きついていた。ある人にみてもらったら、いまの山梵天の場所に梵天社を勧請すればよいというので奉祀した。以後、火災はなくなったという。西沢では、家々の軒先にこげた跡が近年まで残っていたといい、上原では、梵天様は蛇だという。(『秦野─郷土研究─』第四号)

『秦野市史 別巻 民俗編』(秦野市)より要約

追記

「西沢では火災が多かったので……」以降は不明瞭なところもあるので原文のまま引いた。ともあれ、名古木(ながぬき)の西側では、このように梵天と蛇の結びつきが強かったのだ(現状は不明)。

梵天の祭祀というのも、昔は各地で盛んであったが、現在見られるところはかなり限られている。名古木でも現在は行われていないと思われ、話以上のことはわからないのだが、秦野ではこの梵天祭祀がいくつか興味深い信仰に結び付いていっている点は押さえておきたい。

梵天講は、風祭と大きく関係したらしい。蓑毛では梵天の石碑に目籠をかぶせたといいそれだけでも興味深いのだが、土地の古老はそれを風祭に通じるものではないかといったという(蓑毛では、風の神が目一つ小僧と同様するものだと捉えられていた。『秦野市内の風の神様』堀池伊沙子・非売品)。九月上旬とは二百十日のことであり、風祭を行う日である。

そして、秦野ではその風の神が、まま社宮司であり、諏訪から来た人が持ってきた、と語られる。そのあたりと梵天講が連絡しているのだとしたら、さらにそれが蛇であるというのならば、大いに注目すべきことだろう。しかし、名古木において、川梵天と山梵天と分かれてあった、というのはどういうことだろう。上社と下社のようなものか。