楫の三郎山

原文:神奈川県三浦市


海南神社縁起書によれば梶の三郎は資盈第三の家臣で梶取り役で宮の位置を定める占いをした。資盈が「わが住むべき地があるか」と問はれたので、三郎が取っている梶で占って鎮座を定めた地が灘ヶ崎。それを神号とした。ところがそれは宮沢賢治の童話「風の又三郎」で知られる風の三郎という風の神、わが国各地に分布している伝説であることは、「風ノ三郎ト云フハ誤ナリ」として梶の三郎説を否定してる三崎志が逆に風神説を証明している。この磯山は昭和の初め頃までタタリがあるとて足を入れた者はなく、お参りも山の下でしたほど怨霊がこもるところとなっていた。ここに近い灯台下の牛ヶ池といわれた沼は、三崎志に「水牛住メリ」とあるが、それはヌシの池の転化、島の伝説の大蛇はこの梶の三郎山のヌシであったのだろう。

『ちゃっきらこ風土記 漁師町の民俗ノート』
内海延吉(三浦市教育委員会)より

追記