池から出てきた大蛇の頭骨

原文:神奈川県逗子市


池子村には大きな池が3つありました。1つは現在残っている逗子高校前の笹倉の大池、2つめは小池子(せせらぎ荘のあたり)の擂鉢池、3つめは廻倉(まわりくら・運動公園の前の谷戸)の池です。

どの池も、池子の人たちにとっては大切な役目をはたしていました。

大池は昭和57年(1982)に老人福祉センター建設のために5207㎡のうち半分以上が埋め立てられました。池の真ん中に祭られていた弁天様は京浜急行線路そばに移されています。

大池の水は、池子駐在所の前に堰を設け広地(運動公園のあたり)まで引かれて田畑を潤していました。

土地の古老は、とても広い範囲の田畑を潤したと言う意味で「大池の水は池子八町八反歩の田地を潤した。」と語っています。

池子の子どもたちにとって、背の立つ所から泳ぎだしヒゴ(栓を抜いて田に水を落とす所)まで泳げれば一人前といわれ競争したり、ウナギ・コイ・フナなどを捕ったり、絶好の遊び場でした。

擂鉢池はもうありませんが、ここにはあと2つの池があり、上にある池を上池、下にある池を下池と呼びました。

上池をさらった時に底から大蛇らしき頭の骨が出て、東昌寺に納められました。しかし、この骨は大蛇ではなく、ほかの動物の頭の骨でした。

この擂鉢池のあるあたりは、うっそうとした湿地帯で、大蛇伝説の場にふさわしい雰囲気を持っていた所からそう思われたのでしょう。

廻倉の池は、埋め立てられ、今は公園になっています。

どの池も、水田を潤すためにつくられ利用されていたものです。

『逗子子ども風土記』(逗子市教育委員会)より

追記