二十五巾池

原文:神奈川県茅ヶ崎市


柳島の部落を回るようにして川が流れていた。村の西側を、古相模川が流れ、このあたりを、西の下といった。土手の内側に、回りに竹や木のおい茂る、小さな池があった。

一人の女が、年の暮にせまって機を立てた。(織物のしたくをして、織るようにすること。)

縦糸を経る時に、どう感違いしたか、二十五巾も長く経てしまった。織れども織れども織りきれず、横糸の工面もつかず、思い余ってその池に身を投げて死んだ。

それから二十五巾池と人は呼んだ。(青木チヨ「二十五巾池のこと」『柳島のうつりかわり』昭和54年)

娘さんがその池で自殺した。たたりがあるという話が伝わっていて、池のあった場所に家を建てた人の家族はみな死にたえてしまったといわれている。(柳島 小川包次さん 明治40年生 昭和53年3月)

『茅ヶ崎の伝説』
郷土史研究グループ「あしかび」
(茅ヶ崎市教育委員会)より

追記