二十五巾池

神奈川県茅ヶ崎市


柳島の西側を古相模川が流れ西の下といったが、土手の内側に小さな池があった。昔、年の暮れにせまって機を立てた(織物の支度をして織ること)女が、どうしたものか二十五巾もの縦糸を経てしまい、織れども織りきれず、横糸の工面もつかなくなり、思い余って身を投げた池だという。

それで池は二十五巾池と呼ばれたが、祟りがあるといって、池のあった場所に家を建てた人は、みな死に絶えてしまったという。(青木チヨ「二十五巾池のこと」『柳島のうつりかわり』・柳島 男 明治40年生)

『茅ヶ崎の伝説』
郷土史研究グループ「あしかび」
(茅ヶ崎市教育委員会)より要約

追記

もう、この伝説の池の所在などは分からない。二十五巾というと、9.5mくらいになるのだろうか。池の大きさをいったものか、ちょっとそのあたりの意味はよくわからない話だ。

しかし、機織りがうまくいかず入水する娘の話は、その娘が池沼の主となるという話として多くある(「千ガ淵の伝説」など)。二十五巾池の話は単にその跡が忌地となったというほどのものだが、あるいは中間が抜けているものかもしれない。