死にきれ

原文:神奈川県茅ヶ崎市


松の木のたたり(矢畑)

関東紙器のところに、三尺四方の塚がある。矢畑の、本社宮の社地であったところです。田の中に建っていて矢畑の人たちに不便だというので、牧野さんの屋敷に神社を移した。その時、大きな松が何本か生えていて、きこりが木を切ったが、木は切れているのに、木が倒れない。のこぎりに血がついてきたりした。蛇でもいるんだろうということで、切口に酒をかけたら、ようやく木が倒れてきた。そのきこりは病気になってたちまち亡くなった。また、南湖の魚売りが、そこを通ったところ、田んぼがざわざわする。三尺位の蛇がうねうねとしていた。魚屋はショックを受け、家に帰ってからさむけがして亡くなってしまった。

宮の木を切ったり、かやをとって燃したりすると、家の人が具合が悪くなる。そういう話があるので、現在でも空地になっている。(矢畑 熊沢忠夫さん 明治38年生 昭和52年9月)

矢畑の本社宮跡には、二かかえも、三かかえもあるくらいの大きな松の根があった。その松を、十間坂の先山が切った。のこぎりに血がついていた。切りとっても、どうしても倒れないので、神主を頼んでお神酒をあげたが、それでも昼間はどうしても倒れなくて、夜になって倒れた。そしたら、蛇が歩いたあとが田んぼにずっとついた。その蛇が向こうに行くと、稲の穂があっちを向いて倒れ、蛇がこっちにくると、こっちをむいてしまうといってね。伝説だね。切った人は病みだして死んじまった。(矢畑 古川幾太郎さん 明治36年生 昭和52年9月)

今よりおよそ百年前、矢畑村の鎮守、本社明神の社殿を現在の所に移し、跡地の森を伐採せしが、鋸通りて木倒れず。その夜大風吹き荒み倒れたり。この所へ移したてまつる相談をせし人々および杣人など皆死に絶えたり。御神木をきったる神罰ならんといい伝う。故に「死にきれ」の称あり。(鶴嶺小学校編『茅ヶ崎町鶴嶺郷土誌』昭和3年 資料館叢書2 昭和51年刊)

『茅ヶ崎の伝説』
郷土史研究グループ「あしかび」
(茅ヶ崎市教育委員会)より

追記