蛇の話

原文:神奈川県藤沢市


これはなんだか、藤沢に昔からあった話ではないかも知れない。そう思えば、どこかに藤沢らしくない、気分がするところもある。

むかし大鋸に、一人の娘さんが住んでいた。お母さんは早くなくなって、お父さんと、おばあさんと三人で、ゆたかでもないくらしをしていた。まことにやさしい、心の子で、そのお父さんやおばあさんに、よくつかえて、家の手だすけなども、まことに行きわたっていた。それに若いのに似あわず、信心ぶかく、ひまがあればお寺に行って、お経の話などをきいたりしていた。そんなふうだから、だれ一人、この娘さんを、悪くいう人はなかった。おかしいのはただ一つの川をわたって、向う岸に、水をくみにいくのをおっくうがるのだった。その頃の境川には、ほとんど橋がなくて、この娘さんの住んでいるあたりも、ずっと川下に行くか、それでなければ、ぐんと上手にさかのぼらなければ、やはり橋がなかった。娘さんは大きい手桶を、よちよちさげて行くのは、なるほど大変だったのであろう。ある日、川のほとりで、子供達のわめく声が聞える。ののしりあう声がする。だんだんその声は、高くなった。それは尋常一様なものでないようである。娘さんは気になりだして、とうとう下駄をつっかけておもてに出て、その声のする方へ走って行った。来て見ると、沢山の子供が輪になって、一匹の蛇をとりかこんでいる。蛇はかわいそうに、白い腹を空にむけて、身もだえしている。よく見ると、その腹にはかぎりない小さい蟹がぶらさがっている。蛇は苦しさに身もだえしているのだ。心のやさしい娘は、かわいそうだと思って、子供の群にわりこんでいった。

「どっちが悪いのか知らないが、大勢で一匹のものをいじめるのは、かわいそうだ。助けてやっておくれ、ね、ね、」と一心にたのみこみ
「まあまあ、かわいそうに」
と子供の群を押しわけた。

「可愛そうなもんか、蛇だぜ、蛇だぜ」
と子供は不平そうに、押しもどすようにした。

「それご覧、あんなに苦しんでいる。あらあんなに──あんなに──」と娘さんは、夢中になって、子供らを押しもどした。しばらく押しかえしあっているうちに、蛇はますます疲れきって、ぐったりしてしまった。娘さんはいよいよ哀れになって、
「一人、二人、三人……と幾人なのさ。お前さんたちにはいいものあげるから、そのかわりに蛇を助けておくれよ」
と娘はこんがんした。「十七人だ──何をくれる」

娘は小さいがまぐちをあけて、やっとの思いで蛇を助けることが出来た。子供はワァーイと声をあげて、列をくずした。

娘は半死の蛇に近づいて、そこにすててあった青竹で蟹を払いのけた。

「どちらが、悪いのか知らないが、お互いにこれからは悪いことをするでないよ。」
と蟹を払いのけて蛇を、川の中に押し流してやった。蛇はうれしそうに、首をもたげて、お礼をでもいうように首をうごかした。

その晩である。眠れぬままに、明朝も井戸へ行くことが、いやだなあと思いながら横になっていると、何かが細い声で
「橋が出来るよ。朝五時ごろ、いつもの川へ行ってごらん」
という声がする。不思議に思って、あたりを見廻したが、誰もいない。変だなあと思いながらもその晩は寝て、翌朝のしらじら明けに、川のほとりに行って見ると、立派な丸木橋が掛っている。
「あら、」
と叫んで、さらにその上に脚をふんで行くと、
「昨日は命を助けてくれてありがとう、僕だよ。蛇だよ。」
とその橋はいうのだった。そこで娘さんは、こわごわその橋をわたったのであった。しかし、なんといっても蛇ではあまり気持ちがよくない。まして蛇といえば、私はそうでもないが、嫌いな人は多い。あの橋が蛇でないとよいのだが、多くの人が助かるのにナアと口のうちでいった。

その晩、今度は小さな蛇が、部屋へはいってきたが、娘さんの前にくると、急に首をもたげて、
「今日は恩返しに橋を作ったが、やはり失敗だった。この次にはあんなのではないのを作って、お前ばかりでなく多くの人々を助けよう」といったと思うと姿を消して、どこを捜しても、もうわからなかった。

翌朝、娘は川岸へ行って見ると、立派とはいえないまでも、丈夫な木の橋がかかっている。そしてこちら御幣山の大木から向ふ岸の白山神社の御境内の大木までに、大きなしめ繩がかけてある。

「これならいい、これならいい。」
と娘さんはよろこんで、橋を渡りはじめた。一歩一歩心地が明るく「よいしょよいしょよいしょよいしょ」とよろこびを叫びながら、足音をたてて渡った。なかごろまできた時、声がした。
「これでよかろう。これでよかろう。」
娘さんは、それが蛇の声だと思った。
「ありがとう、ありがとう。」
と娘は答えた。

「ううん。なあーにおれこそありがとう。これで恩返へしがすんだんだもの。」
と蛇がいったかと思うと、橋は大きくゆれた。

娘はびっくりすると、そのゆらゆらがゆれるとともに、そこら一面は藤の花が咲きにをいゆらゆらとしているのであった。

『季刊 新藤沢』大川博

『藤沢の民話(文献資料)』
(藤沢市教育文化研究所)より

追記