矢の根井戸

神奈川県鎌倉市


材木座飯島と小坪飯島の境に矢の根井戸・六角井(土地では矢のいの井戸といった)がある。鎮西八郎為朝が伊豆大島から遠矢を射、この井戸に落ちたのだという。小坪飯島と材木座飯島は仲が悪く、井戸を取り合ったが、材木座のものとなった。

面白いことに、材木座飯島では子どもが一人生まれると、井戸の中に矢の根(黒い棒)が一本浮かんだという。二人生まれると二本浮かぶ。井戸は水の出が悪く、三・五・七年めに井戸がえをした。竹の筒の中に矢の根を入れ井戸におさめ、おみきを供えた。コレラが流行したときも矢の根が浮き、矢の根をおさめたという。

また、井戸の底には為朝の矢の矢尻が残っており、井戸さらいをすると見えたというが、ある時この矢尻を取り出して神社に納めたところ、水が止まってしまったという。驚いて戻したところ、また水が沸くようになったそうな。

『鎌倉の民俗』大藤ゆき
(かまくら春秋社)より要約

追記

井戸は今もあり、六角井というのに八角形をしている。八角のうちの六角分が材木座飯島が使える分で、二角分が小坪飯島が使える分なのだそうな。

矢尻を取り出し神社に納めたというのは、逗子側小坪の話のようで、住吉神社に納めたが水が出なくなったので戻したという話が見える(『逗子市史 別編I 民俗編』)。

それにしても為朝の矢というところはともかく、子が生まれると井戸に矢の根(矢竹のことか)が浮いた、という点は大変に興味深い。にわかには意味が図りがたいが、魂の去来と井戸が密接に関わっているようではある。

逗子の田越川を一名矢の根川といい、三浦半島南東端の剱崎にも矢の根井戸があった。もともと矢と水を用いた誕生にまつわるなにがしかの風習が先にあったのかもしれない。