蟹の宮

原文:神奈川県鎌倉市


むかし、材木座の漁師が浜で大きな蟹をつかまえました。その蟹はすばらしく大きいばかりか、色が紫で、これまでに見たこともないものでした。しかも、蟹は両方の爪を胸のところで組んでいます。その様子がまるで両手を合せ命乞いをしているようなので、漁師はかわいそうでもあり、またなにか気味悪いような気がして蟹を放してやりました。すると蟹は両の爪を高くあげ左右に振りながら、海へもぐって行ってしまいました。

それから何年かたった夏のことです。その年はひどい旱魃で一粒の雨もない日がつづきました。蟹を放してやった漁師は紅ヶ谷に畠を持っていましたが、作物が枯れないように毎朝下から水を運び上げては畠に撒いていました。ある朝、いつものように水を担って行き、畠の隅に埋けてある四斗樽に水をあけようとしてひょいと見ると、樽の底いっぱいにはまりこんだように蟹が入っていました。よく見ると紫色の大蟹です。いつぞや放してやった蟹にちがいありません。びっくりしながら漁師が、水桶から水を移すと蟹は大きな両の爪を高くのばして振りまわしました。爪についた水が高く空にあがって雲のようにたなびいたかと思うと、やがて漁師の畠一面に小雨となって降り注いできました。漁師はあっけにとられて、ただぼんやりと見ているばかりでした。

それからというもの毎朝、漁師の畠にだけは、ちょうどいいおしめりの小雨が降り、周囲の畠の作物はみんな枯れてしまったのに、漁師の畠だけはみごとな作柄でした。

これはきっとあの紫色の蟹が恩返しをしてくれたにちがいないと、漁師は畠のわきに小さい祠を造って蟹を祀りました。噂が弘まるにつれて世間では、この祠を「蟹の宮」と云いならわし旱りの年には雨乞いのための詣りに来る人たちで賑わったということです。

なお、紅ヶ谷という地名は、そこにいる弁慶蟹の色が特に真紅だったので付けられたとも云いつたえられていますから、むかしから蟹には縁のあるところなのでしょう。

『かまくらむかしばなし』沢寿郎
(かまくら春秋社)より

追記