主家を守る蛇形ノ井戸

神奈川県鎌倉市


比企能員の娘・若狭局は将軍頼家との間に一男・一幡を生んだが、頼家の弟・千幡(実朝)との跡目争いであった比企能員の変に比企氏が敗れ、局は家宝を抱いて比企ガ谷の井戸に身を投げ死んだ。局は蛇に化身して井中家宝を守ったという。この井戸を蛇形ノ井戸という。

後、北条政村の姫に局の霊が祟り、姫は重病に苦しむということがあった。このとき政村が比企ガ谷に祠を建て局の霊を祀ったのが蛇苦止明神であるという。

蛇形ノ井戸と松葉ガ谷にある六方ノ井戸は水脈が通じていて、局の蛇が蛇形ノ井戸にいるときは井戸にさざ波が立ち、六方ノ井戸に行っているときには波がやむという。

また、時下って佐竹と上杉の争いの時、妙本寺に火が放たれたが、時の日行上人が日蓮の書いたというマンダラを蛇形ノ井戸に隠したところ、たちまち黒雲が立ち上り、若狭局の蛇が現れ、大雨を降らせて寺の火を消したという。

『三浦半島の民話と伝説』菊池幸彦
(神奈川新聞社)より要約

追記

大町比企谷の妙本寺の守護神として蛇苦止神社は今もあり、境内には伝説の井戸もある。本社殿横の窪地が本来の蛇形ノ井だったのじゃないかともいう。

北条政村の娘が蛇と化した局の霊に憑かれ、という話は『吾妻鏡』にあるが、これが「讃岐局の怨霊」とある。比企の娘とあるので若狭局に相違ないのだが、名の誤記と見られており、上でも若狭局が、となっている。

しかし、蛇形ノ井戸の怨霊の主が讃岐局という話も根強くなってしまっていたようで、天保の『玉石雑誌』に日蓮が井中の大蛇の姫に蛇形曼荼羅を書いて供養する話(絵図)があるのだが、これも「讃岐局乃冥苦を救ひければ」となっている。

なお、上の雨を降らせて云々というのは、妙本寺に今もあるその日蓮の蛇形曼荼羅のことだ。また、松葉ヶ谷の六方ノ井戸とつながっているというのも、日蓮が拠点とした松葉ヶ谷ということをいっているのだろう。

さて、そのような蛇形ノ井戸であり蛇苦止神社なのだが、これがなぜ社宮司・石神と根を同じくするであろう名を持つのかが杳として知れない。蛇苦止神社を勧請したといわれる横浜の「蛇骨神社」には確かに社宮司の面があるのだが。