柳原の蜘蛛

原文:神奈川県鎌倉市


柳原というのは、『新編相摸国風土記稿』によれば「鶴岡八幡宮境内ノ東ノ方、薬師堂ノアタリヲ指ス」とのことですから、いまの白旗宮の辺になるわけです。

この辺は八幡宮が造営される以前は、一面の水田だったそうで、その田の畔に生えていた柳の木が造営後もそのまま残されていたので、この名があるのだと云われています。

言い伝えでは、古歌に「年経たる鶴が岡辺の柳原青みにけりな春のしるしに」とあるのが、その証拠だということですが、どうもこの古歌は、北条泰時の作った和歌を誤り伝えたものらしいのです。

泰時の和歌は、三句目が「柳原」ではなくて「松の葉の」となっています。

さて、この柳原には、いくつかの伝説がありますが、その一つにこの池に蜘蛛の妖怪が棲んでいたという話があります。

むかし、一人の修験者が鶴が岡へ参詣した帰り、柳原の池のほとりに腰をおろして休んでいました。

すると、池の中から小さな蜘蛛が出て来て、しばらくその辺を這いまわっていましたが、やがてツツーッと修験者の足もとへ寄って来たかと思うと右足の踵へ糸をかけて池の中へ入って行きました。修験者は、へんなことをする蜘蛛だなと思って、よく見ると、その蜘蛛の糸はキラキラと五色の色に光っています。なんだか気味悪く思った修験者は、その糸を取ってそばにあった太い杭にこすりつけました。

その時、またさっきの蜘蛛が池から出て来て、今度は左の踵に五色の糸をかけて、池へ戻って行きます。修験者はその糸も同じように杭へなすり付けました。

そのとたん、地鳴りのような音がして、太い杭が根こぎになって池の中へ引き込まれました。もしあの糸に気が付かずにいたら、きっと自分が池中へ引きずり込まれていたにちがいないと、修験者はゾッとしました。そして、あの蜘蛛は化けものに相違ないとさとった修験者は、すぐに池のほとりで七日七夜の間、悪魔退散の祈禱をしました。

ちょうど満願の日、それまできれいに晴れていた空が急に黒雲におおわれ、細引のような雨がしぶきをあげて降り注いで来ました。そして、まるで煮えかえるように一面に白く泡立った池のまん中あたりから、突然ものすごい音と共に五色にきらめく蜘蛛の糸が、太いたばになって中天高く噴きあがったと思うと、大きな虹のように遠くの東の山の方へかかりました。

それを見ると修験者は、すわこそ大願成就、妖怪退散と、頭から滝のような雨を浴びながら戒刀を振りかざし一心に真言陀羅尼の呪文を唱えます。その時です。一層泡立ち盛り上った水の中から、びっくりするほど大きな真黒い蜘蛛が姿を現わすと、すばやく五色の糸に飛びのりそれを伝わってつむじ風のような速さで東の山の方へ姿を消しました。

修験者の行法によって柳原の池を追い払われた化け蜘蛛は六浦か金沢へ逃げたまま、二度と鎌倉には姿を見せなかったということです。

『かまくらむかしばなし』沢寿郎
(かまくら春秋社)より

追記