うわばみの黒焼

原文:神奈川県鎌倉市


鶴岡八幡宮はたびたび火災にあっていますが、この話は文政四年(一八二一)正月十七日の晩、雪の下の民家から起きた火事の飛び火で上宮はもとより大臣山まですっかり焼けてしまった時のことです。

この時の火事で、石段のところの大銀杏も焼け失せ、この樹の根方のうろに年古く棲んでいたうわばみも焼け死んで、その悪臭はひどいものだったそうです。

ところが誰が云い出したものか、このうわばみが黒焦げになった灰を甜めると、どんな病いにもきくという噂がひろがりました。いつの世にも軽はずみで物ずきな人はいるもので、評判を聞いてうわばみの黒焼を取りに来るものが、たくさんあり、中には本当に病人に甜めさせたり、自分で甜めた人もありました。

しかし、病いにきくというのは、まったく出鱈目だったようで、あべこべにその灰を甜めたために死んだものがあるという噂が、世間の人を驚かしました。

すると、それはうわばみの祟りにちがいないということになり、おはらいをしなければ大変だというので、人々が大蛇の黒焼を掻き集めて箱に納め由比ヶ浜へ持ってゆき、海へ流したあと、おはらいを受けた。それでまずそれ以後は悪いことも起らずにすんだとのことです。

この話は実話として当時の随筆『筆まかせ』『聞のまにまに』などに載っていますし、また『武江年表補正略』にも記されています。さらに曲亭馬琴の小説『近世美少年録』の発端に、大内義興が大蛇の棲む穴を焼く話があるのは、やはりこの鶴岡の火事の話に依ったものだともいわれています。馬琴という人は、常に世間の話を注意して書留めて置き、作品の中に上手に取り入れていたそうですから、これも或いは本当かも知れません。

それにしても、文政四年の火事の時に大銀杏が焼け失せたというのは事実ではありません。多少焦げるくらいのことはあったかもしれませんが焼失はしていません。ただし蛇の焼死の方はまず本当にあったこととして置きましょう。

『かまくらむかしばなし』沢寿郎
(かまくら春秋社)より

追記