鎖大師

原文:神奈川県鎌倉市


鎌倉から大仏坂を越え、藤沢へ向ってバスで十分。手広下車、さらに西へ徒歩十分。山の端に真言宗飯盛山青蓮寺がある。

寺法によると、弘仁十年(八一九)弘法大師がこの地で護摩をたき法を修していた時、こつ然として美しい天女が大師の前に現われ、護摩の助法や食事の世話を勤め、護摩法の終了とともに「われこれより西南の孤島(江ノ島)にいって大師の来島修法を待つ」といって消えた。翌朝、傍の池は一夜のうちに蓮華が生じ、青色の花を咲かせていたので、有縁の地と悟り、江ノ島に至り護摩供を修し、その灰で弁才天像を作り、故地には一寺を建立して青蓮寺と名付けたと伝えている。

『書かれない郷土史』川口謙二
(錦正社)より

追記