鱗の小判

原文:神奈川県鎌倉市


むかし、長谷の駕篭かきが、江の島までの客を送っての帰り、とっぷりと日が暮れて暗くなった極楽寺の切り通しをおりて坂の下の入り口、磯端あたりへ来かかると、一人の女に呼びとめられました。

建長寺まで送ってくれといいうのです。

棒鼻に吊るした小田原提灯の光りで透かして見ると、その女の着ている着物はびっしょり濡れているようです。

これはきっと身投げをしそこなった女にちがいない、こんな者を乗せて何のかかり合いになってはつまらないと思った駕篭かきは、声をそろえて、もう家へ帰るところだからだめだ、とことわりました。

すると女は、これを上げるから行っておくれ、と云いながら小判を一枚、さし出しました。思いがけない大金を見せられると、それでもいやだと断るわけにはいきませんでした。

女を乗せて、二人は走りだしました。乗せてから気がついたのは、この女がずいぶん重たいことです。しかし駕篭かきは、これは着物が濡れているせいだろうと考えて、そのまま走りつづけました。

狭くて険しい巨福路坂を越して、やっと建長寺の門前に着きました。しかし、女は山内へ入って方丈の辺まで行ってくれと云います。仕方がないので、云われた通り方丈の近くまで行くと、ここでいいと云って女は駕篭を降りました。そして、駕篭かきに、後ろを振り返ってはいけないよ、と云い残して方丈の庭の方へ歩いて行きました。

駕篭屋は、だんだん薄気味わるくなって、急いで帰りかけました。まだいくらも歩かないうちに、後ろの庭の方で何か大きな水音がしました。駕篭屋が驚いて振り向くと、夜目にも白く水煙りが高く立って、その水煙りの中に、ちらりと龍の姿が見えました。

びっくり仰天した駕篭屋は、がたがた震えながら方丈へ馳せつけ、このことを和尚さんに話しました。だが、和尚さんはちっとも驚いた様子もなく、
「ああ、あれはここの池の主じゃ。この間から房州へ行っていたのが、帰ってきたのじゃろう。」
と云いました。駕篭屋は、あわててさっき貰った小判を出して見ると、それは見たこともないような大きな鱗でした。龍が自分の鱗を一枚剥いで呉れたのです。

『かまくらむかしばなし』沢寿郎
(かまくら春秋社)より

追記