鱗の小判

神奈川県鎌倉市


昔、長谷の駕籠かきが極楽寺の切通しの坂の下、磯端あたりで、一人の女に呼び止められた。建長寺まで送ってくれというその女を小田原提灯の光で見ると、着物がびっしょりと濡れているのであった。不審に思ったが、女が小判を差し出したこともあり、駕籠屋は送ることにした。

女一人乗せているだけなのに、随分と重く感じられたという。やがて建長寺の門前についたが、女は山内の方丈の方まで行ってくれという。言われたとおりに送ると、女は決して振り返らないように、といって庭の方へと歩いて行った。

気味悪くなった駕籠屋が急いで帰りかけると、後ろの庭で大きな水音がした。思わず振り返ると、高く上がった水煙の中に龍の姿が見えた。駕籠屋は胆をつぶして方丈に駆け込み和尚に事の次第を話したが、和尚は少しも驚かずに、それは池の主だという。この間から房州へ行っていた主が帰ってきたのだろう、と和尚はこともなげに言うのだった。駕籠屋があわててもらった小判を出してみると、それは見たこともないような大きな鱗であったという。

『かまくらむかしばなし』沢寿郎
(かまくら春秋社)より要約

追記

馬子に頼んで、人力車に乗って、はてはタクシーにまで乗って移動する弁天さんだが、鎌倉では駕籠にも乗っている。弁天さんといっているわけではないが、建長寺守護の龍といったら江の島由来の竜蛇となる(「乙子童子」)。

ともあれ、各地に見る弁天さんが出歩く話に関して、本家江の島近くにもこうした話があるということで押さえておきたい。しかし、建長寺の龍は房州に行ってきた、とのことだが、房州のどこへ行ったのだろう。