ひょうたん池のはたおり姫

原文:神奈川県平塚市


むかし、平塚新宿の八幡宮のまえには、小さな池がいくつもあったそうです。

そのうちの一つで、大塔山のそばにあったひょうたん池は、岸べにかややあしがおいしげっていて、池のおくのほうは見えず、なんとなくうすきみわるいので、だれも近づきませんでした。それに、このひょうたん池には、月の光がさしこむと、池のまん中あたりから、「トントンカラリ、トンカラリ」という、はたをおるような音がきこえてくるともいわれていました。

ふしぎにおもった村の人が、何人かさそいあわせて、月の晩にひょうたん池へたしかめにいきました。たしかに、「トントンカラリ、トンカラリ」という音が、きこえてきました。でも、音だけで、はたをおっている人のすがたも、はたおりの道具も見えませんでした。

さて、そのころ村に、あるわかものがいました。このわかものには、親も兄弟もなく、ひとりぼっちでくらしていました。近所の人たちが、およめさんをもらうようにすすめましたが、わかものはうけつけませんでした。

「どうして、よめをもらわないのかね? なにか、ぐあいのわるいことでもあるのかね?」

わかものは、にこにこわらいながら、首をふるばかりでした。じつはわかものは、美しいむすめをおよめさんにしようとおもっていたのです。わかものはいつか夢を見たのです。それは、この世のものともおもえないほど美しいむすめが、にっこりほほえみかけた夢でした。わかものはそういうむすめがきっと、自分のまえにあらわれると信じていました。

こんなことは人に話したなら、わらわれるばかりでしたから、わかものは、だれにもいいませんでした。そして、その美しいむすめをおよめにむかえるために、すこしでもお金をためようと、毎日毎日、せっせとはたらいていました。

そのわかものが、あるとき、となりの村まで用をたしにいき、夜おそくなってから、もどってきました。そして、ひょうたん池の近くまできたときは、もうま夜中でした。そのとき、ちょうど月の光が、ま昼のようにあたりをてらしていました。もちろん、ひょうたん池にも月の光がさしていました。

ふだんなら、岸べのかややあしにじゃまされて、ひょうたん池のおくのほうは見えないのですが、このときは、どうしたわけか、かややあしのあいだから、きらきらと光る池のおくのほうが見えました。

「ほう! これはまた、なんときれいなながめだろう。」

わかものはおもわず足をとめて、ひょうたん池をながめました。そのときです。まるで池の底からひびいてくるように、あの「トントンカラリ、トンカラリ」という音がきこえてきたのです。わかものは、その音にすいよせられるように、池のほとりへ近づき、池のおくのほうをのぞきこみました。

すると、池のまん中あたりが、波立ちはじめ、まわりには、白いもやのようなものが立ちこめてきました。ふしぎにおもったわかものは、息をころして、白いもやを見つめました。しばらくすると、こんどはそのもやの中から、美しいむすめがあらわれて、わかもののほうに、にっこりとほほえみかけました。

わかものもおもわず、ほほえみかえしました。なぜって、そのむすめは、いつかのわかものの夢にでてきたのとそっくりの、それはそれは美しいむすめだったのです。わかものにほほえみかえされた美しいむすめは、きゅうにはずかしそうに、たもとで顔をかくしました。そのしぐさがなんともかわいらしく、うれしくなったわかものは、大声でよびかけました。

「わたしのおよめさんになってください!」

ところが、そういったとたん、もやがすうっときえて、その美しいむすめのすがたもきえてしまいました。

わかものは、あたりを見まわしましたが、むすめのすがたはなく、池の水が、月の光で、ただきらきらと光るだけでした。

それからというもの、わかものは月夜の晩になると、かならずひょうたん池のふちへでかけていきました。あの「トントンカラリ、トンカラリ」という、はたをおるような音はきこえてきましたが、どんなに待っても、むすめのすがたはあらわれませんでした。

それから、何年かたちました。わかものはおよめさんをもらわないまま、年をとり、ふとした病気がもとで、あっけなく、死んでしまいました。それからというもの、こんどは、あのはたをおるような「トントンカラリ、トンカラリ」という音も、きこえなくなってしまったということです。

『むかしばなし 平塚ものがたり』
山中恒(稲元屋)より

追記