奉遷塚と輿道

原文:神奈川県平塚市


むかしむかし、そのむかし、相模国(今の神奈川県)の古い神社の神様たちは、五月五日の端午の節句になると、大磯にある神揃山に集まって、いろいろのことを相談しました。

集まる神社は、寒川の一之宮・寒川神社、二宮の二之宮・川匂神社、伊勢原の三之宮・比々田神社、平塚の四之宮・前鳥神社と平塚八幡宮の五社でした。

この五社が集まるのは今でも行われており、国府祭と呼ばれています。

さて、国府祭に集まる神社はそれぞれお神輿を出して行くのですが、東の方にある寒川神社と前鳥神社は、平塚新宿の平塚八幡宮の前まで来て、それから東海道の南の脇道を西へと神揃山に向かいます。

ところが、この脇道のそばの砂山にいる若宮八幡さんという神様は「若宮さん」と呼ばれ、村の人たちからたいそう恐れられていました。

なぜかというと、この神様は平塚八幡宮の子どもでしたが、とてもいたずら好きで乱暴でしたので、親の八幡宮もほとほと手をやき、とうとうお宮から出してしまい、脇道の砂山にすまわせたのです。

しかし、若宮さんはこんなことでへこたれることはなく、いたずらも前にも増してひどくなりました。

ある年の端午の節句の日、その日は朝から晴れわたり、すがすがしい風が吹きわたり、若葉の緑が目にしみるようでした。

若宮さんは、ついうとうとと砂山の上で昼寝をしていると、急にあたりがさわがしくなり、なんだろうと目をさまして脇道を見ると、国府祭に行く一之宮さんのお神輿が来るではありませんか。

これを見た若宮さんは、なにかいたずらをしてやろうと思い、砂山を駆け降りて、近くの原っぱにすんでいる蛇たちを集め、こう言いました。

「お前たちを呼んだのはほかでもない。みんな知ってのとおり、端午の節句に菖蒲を軒先きにぶらさげて、お前たちを近づけなくさせたのは、一之宮だぞ。きっとお神輿を通すでないぞ。いいな」

若宮さんにけしかけられた蛇どもは、ニョロニョロと脇道に集まり、とうとう道をふさいでしまいました。

おどろいたのはお神輿をかついでいた人たちで、たくさんの蛇が赤い舌をチョロチョロ出すあまりの気味の悪さに、お神輿を放り出して一目散に逃げてしまいました。

そのうち、四之宮のお神輿がやって来ましたが、これも若宮さんにそそのかされた蛇たちのため、脇道を通ることができませんでした。

一之宮さんと四之宮さんはかんかんになって怒り、さっそく親神の八幡さんの所へ行き、若宮のしわざにちがいないからどうにかしてくれ、とどなりこみました。

これを聞いた八幡さんは、神様たちにひらあやまりすると、鉾という武器をもって脇道へかけつけました。

はたして、脇道には何百という蛇が道いっぱいにとぐろを巻き、若宮さんからもらった酒をのみ、よっぱらっていました。

八幡さんは、手にした鉾で砂をすくい、蛇たちめがけて振りまくと、どうしたことでしょう。

砂はあたり一面に舞い上がり、蛇たちの目をめがけて飛び込んでいくではありませんか。

「これはたまらん。いたいいたい、助けてくれ……」

蛇たちは口々に叫びながら、八方へ逃げていきました。

それから、八幡さんは若宮さんを捕まえると、脇道のそばに塚をきずいて、二度と悪さをしないように押し込めてしまいました。

のちにこの塚は、神様が移られていることから「奉遷塚」と呼ばれるようになり、脇道もお神輿が通る道なので「輿道」と呼びました。

また、八幡さんのお神輿が国府祭に行かれるとき、輿道の奉遷塚の前まで来ると、蛇の出ないおまじないとして、鉾で三回砂を塚にふりかけるようになったそうです。

(平塚新宿)

『むかしばなし 続・平塚ものがたり』
今泉義廣(稲元屋)より

追記