龍塚

神奈川県横須賀市


江戸時代、享保の頃、日照りが続き雨が降らず川の水も田の水も涸れ村人は水不足で困窮していた。そんな時大きな蛇が水を求めて武山不動院下に力尽き死んでしまった。

村人はあわれに思い葬ろうとしたが、あまりに大きく重たいので、首だけ切って葬ったのがこの龍塚(りゅうちょう)である(昔は大きな蛇を龍または竜と言った)。

干照りの時は、村人はこの龍塚で雨乞いの祈祷が行われていたが、その後住宅が建ち田も無くなったので現在では雨乞いの祈祷は行われていない。

龍塚山 持経寺 武山不動院

現地掲示より

追記

享保よりはるかに古いはずの武山不動院の山号を龍塚山というのだが、前後関係がよくわからない。上の話だけなら、逗子市上山口の蛇塚山(「蛇骨山・蛇塚」)に近いものか、という気もする。

しかし、現地には上のようにあるのだが、『古老が語るふるさとの歴史 北部編』にはまったく異なる話が紹介されている。曰く、龍塚は和田家が山賊を退治し、その遺骸を埋めた塚だというのだ。竜蛇は全く出てこない(女の人が髪の毛を供えて願掛けする、とはあるが)。和田といったら三浦党の和田氏だろうが、それでなぜ龍塚というのかというのも不明だ。

山号が享保より遡るなら(山麓から今の位置に来たのは天和三年という)、中世以前の竜蛇にまつわる話のあるところだったのだろう。それと山賊を埋めたという話とが繋がるものなのか、どうか。