磯部の有鹿さま

神奈川県相模原市南区


勝坂の有鹿さまは、美しいお姫さまだったという。

ある日、相模川の対岸の相模太郎という武者がむりやり有鹿姫と結婚しようとしておしかけて来たという。姫は、この時蛇に変化し七橋でこの太郎を追い払ったという。

七橋は、鳩川にかかる七番目の橋であるという。

大正9年生 磯部1917 曽我勇次郎氏談

さがみはらの文化財 第12集
『民話・民謡調査報告書』
社会教育課(相模原市教育委員会)より

追記

この話は、磯部に大角豆を作らない家がある、という話の一端だ(「大角豆を作らない由来」)。有鹿の神が蛇体となって来たとき大角豆で眼を突いたから、という話と、その蛇体は相模川対岸の小沢城の姫が婚姻を嫌い投身したものだ、という話があって、後者に近い。

しかし、上に見る筋はどうもより「神の話」としての色が濃いように思われる。蛇体の女神の有鹿ヒメが、相模川対岸の男神の求婚を拒んだ、という神話があったのじゃないか。もしそうだとすると、一般に西相模との関係が語られることのない有鹿の神の話として、にわかに注目すべきものとなるように思う。

小沢城主の姫の話の前に、有鹿の神の話として(縁の順逆はさておき)相模川対岸の神との婚礼のモチーフを持つ話があった、そう仮定すると、姫の話は焼き直しではないか、ということになる。そうなると、双方の話の影響関係の焦点がずれてくることになるだろう。

もっとも、中世は中世で海老名氏から磯部・小沢、厚木の溝呂木氏や荻野の方はつながりのある氏族であったようなので、やはりそう簡単にどちら寄りという具合にもいかないのだが。