大角豆を作らない由来

原文:神奈川県相模原市南区


上磯部の城条家は相模川の流れがぶつかる崖の上にある。古くは城条城という城があったと伝えられているが、洪水のたびに崖はだんだんと侵蝕され、いまはその跡の一部だと称する地点が残っているに過ぎない。

この城条一家では現在大角豆(ささげ)を作らないのが家例となっているようである。その由来をたずねると、むかし海老名郷の有鹿神社の神霊が蛇体となって流れをさかのぼって来た。そしてこの場所にうち上げられた時、ちょうどそこに作られていた大角豆のさやで眼を突き傷ついたからだといわれている。なお有鹿神社の付近でもお祭礼の際に大角豆を入れたご馳走はつくらないことになっているそうである。(城条道善氏の談による)

また一説には新戸の用水路を有鹿さまが白蛇になって上ってくるのを見たものがあったとも伝えられている。これら一連の有鹿神社の神霊と磯部村との関係の伝承は、明らかにつぎの第三話に詳細に記述する「有鹿さまの水もらい」の神事に関連を持つものなのである。

なおまた蛇体となって大角豆で眼を突いたのは、田名の対岸の愛甲郡小沢の城主小沢太郎の娘であったともいわれている。それはこの上磯部の城条氏が媒酌人となり、すでに有鹿郷の郷主のもとに縁づかせることにきまっていたところ、当の娘はそれをきらって投身し、蛇体に変じたというのである。この伝承は田名地区の第九話小沢城落城悲話に記述した小沢城主金子掃部助の娘が落城に際し、投身して蛇体になった説話と、「有鹿さまの水もらい」神事の伝承とが複合されて伝えられたものなのである。有鹿神社と上磯部の城城氏との関係は不明である。

『増補改訂版 相模原民話伝説集』
座間美都治(私家版)より

追記