水神様の雨乞い
原文:神奈川県相模原市緑区
それは草も木も焼きつくす様な日々がつづいた昭和のはじめ、ちょうど今年の様な記録破りの猛暑が近郷近在をおそった。
「どうしべえ、これぢゃあ秋のものは一粒も穫れねえぞ」、「水神様にお願いするよりしょうがねえな」、「なにしろ水神様のエゴ(横穴)は江の島の弁天様に通じてるっちゅうからな。二尋も三尋もある〝ぬし〟がいて、近づくと引き込むらしいぞ」と、けんけんごうごう。(事実この渕の底知れぬ神秘さに1人で泳げるものはいない。)
そのころは、まだこのあたりでは自給自足の生活をしていました。
「このままでは捨ておかれぬ」と忽ち衆議一決。
吉原集落の下、秋山川の名勝でもある水神渕に十数集落総出で雨乞い祈願と相成った。
さて当日のいでたちは、皆「ふんどし」姿の裸一貫で勢揃い。朝早く若ものたちが吉原集落に今も残る明治時代の手押しポンプをかつぎ出し、山を下り瀬を渡り目指す水神渕へエッサ、コラサとひた走り。渕の上の岩に鎮座まします水神様のめがけてワッショイ、ワッショイの水かけ祈願。
老若男女、百十数人が声をはり上げワッショイ、ワッショイの大コーラス。
なかには感きわまって泳げもしないのに川にとびこみ溺れるものも出る始末。
霊験は……数日後にあらたかだったと聞く。
今に思えば噴飯ものだが、当時それを言えば村八分にもなりかねない。
まだ半世紀もたたない「むかし、むかし」ながら、隔世の感に敢えて筆を取った次第。(森下岩男 記)
『むかし むかし』(藤野町広報委員会)より