弁天さまにまつわる不思議な話

原文:神奈川県相模原市緑区


それは、新兵衛さんという男の人の話でした。新兵衛さんは、小さい頃から町の商家へ奉公し、大変に苦労をしました。でも、その苦労が実り、ついに大きなお店の主人になることができたのです。

ある時、新兵衛さんは、生まれ故郷の中野村に帰ってきました。
「こうして、故郷に錦を飾ることができたのも、神さまのおかげに違いない」
そう考えた新兵衛さんは、村の鎮守さまである中野神社におまいりにでかけました。新兵衛さんは、弁天さまにもおまいりに行きました。そこで、新兵衛さんが見たものは、雨や風にさらされ、屋根は壊れ、回りの板壁も腐ってはがれて穴だらけの見るも無残な弁天さまの姿だったのです。

あまりにも荒れ果てた弁天さまのほこらに心を痛めた新兵衛さんは、
「自分が、こうして成功できたのも、神仏のご加護があったからだ。そのご恩に報いるためにも、何とかして、弁天さまのほこらを、きれいに直してあげよう」
そう考えた新兵衛さんは、早速、村の人たちに相談を持ちかけました。

新兵衛さんの気持ちを知った村の人たちは、こぞって、
「昔から、あの弁天さまにさわると、祟りがあるという言い伝えがあります。悪いことは言わないから、弁天さまのほこらをいじることは、やめたほうがいい」
と言って、弁天さまのほこらの修築に反対しました。
「そんなことは迷信だよ。弁天さまのほこらを直してあげたからと言って、祟りなどあろうはずはない」
新兵衛さんはそう言って、村の人たちの忠告にも耳を貸そうとはしませんでした。

こうして、弁天さまのほこらの修理が始まりました。何日かの後、土地の大工さんの手で、弁天さまのほこらは、見違えるようにきれいになりました。ところが、それから間もなくのことでした。あんなに丈夫だった新兵衛さんが、風邪がもとで重い病気になり、何日も病まずに亡くなってしまったのです。これを知った村の人たちは、口々に、
「おれたちがあんなに止めたのに、新兵衛さんはおれたちの言うことを聞かなかったから、こんなことになってしまったのだ。これは、きっと弁天さまの祟りに違いない」
と噂をしあったものでした。

(資料提供 谷合ヨシ、文 佐藤園子)

『ふるさとの民話と伝承』
(中野地域振興協議会)より

追記