弁天さまにまつわる不思議な話

神奈川県相模原市緑区


中野村の新兵衛という人は、小さい頃から町の商家に奉公に出、苦労した。その甲斐あって大きなお店の主人となり、故郷に錦と中野村に帰ってきた。そして、これも神のおかげと中野神社に参ったが、脇の弁天さまの無残な有様に驚いた。

新兵衛は成功のお礼に弁天さんを直そうと思った。しかし相談すると、村の人たちは、あの弁天さまにさわると祟りがあるという。それで弁天さまは荒れ放題だったのだが、新兵衛はこれを聞かずに弁天を修繕した。

ところが、弁天さんがきれいになると、丈夫だった新兵衛は風邪から重い病気につき、数日で死んでしまった。村の人々は、皆の忠告を聞かなかったからだ、弁天さまの祟りだと噂しあった。

『ふるさとの民話と伝承』
(中野地域振興協議会)より要約

追記

原話は父と娘の会話という体裁で、前後に長くやり取りがあるが、そこは略した。時は下って、弁天さまも手入れされるようになった。私が数年前に訪ねた際も、荒れ果てているということはなかった。中野神社の境内社という扱いになっている。

さて、この話のようなお社というのはあちこちにあり、弁天に限らず第六天であったり天神であったりするが、弁天ということだと、立川のほうにそういう話がある(「矢川弁財天」)。そちらの「この杜は弁天さまの棲みかなのだから」という理由は参考になるだろう。