葉山島のうなぎの精

神奈川県相模原市緑区


葉山島の「一の釜」の上に碧くよどんだ淵があった。ある日の夕方、近くに住む権助が、この淵で「おきばり」の釣りをした。夕にうなぎを狙って針を置いて、朝に取りに来る、という釣りだった。

次の朝、まだ暗いうちに権助が淵にやってくると、おきばりには丸太のように大きなうなぎがかかっていた。あまりの大きさに薄気味悪く思っていると、崖の上に白衣白髪の老婆がもうろうと現れ、陰にこもった声で「権助さらばぞ」と言って権助を睨みつけるのだった。

権助は血がいっぺんに引いて腰を抜かし、これは淵の主のうなぎの精だと思って淵に放ち、一目散に家に逃げ帰ったという。

『相模原民話伝説集』座間美都治
(私家版)より要約

追記

相模川右岸側に葉山島(という地名だが現在は別に島ではない)はあって、左岸側は田名になる。今は平坦な流れとなっているこの辺りの相模川だが、田名(たな)の地名はそこに滝(たな)があったからそういうというので、あるいは話の淵から一の釜というところに落ちる滝があったということかもしれない。

そこにこのような鰻の主がいたという。相模川をさかのぼっては内郷に早くに紹介されたこの話型「天狗坊淵の怪異」があるが、葉山島のほうも白衣白髪の老婆がもうろうと現れたりするあたり中々雰囲気のある話になっている。

ところで、こちら葉山島の話で興味深いのは、主の鰻の母であろう老婆が呼びかける名が、捕えられた鰻ではなく、捕えた人・権助の名である点だ。天狗坊もそうだが、「物言う魚」の話型では名が呼ばれるのは一般に捕えられたヌシのほうである。

人の名として呼ばれる例は同神奈川県下に他にもあり、相模川を遡って小倉のほうで語られた話では、より端的なヌシの名である(あったと思われる)「おとぼう」の名が捕えた人の名になっている(「物いう魚」)。

単純にヌシの名が呼ばわれる意味がよくわからなくなって、捕えた人の名が呼ばれる話に誤ったのだ、と言えばそうなのだろうが、それでは呼ばわれる対象が変わって話のニュアンスがどう変わったのか、というのは考えどころではある。特に同話型によく出る「さらばだ」の意味合いが大きく違っているだろう。