子供の寿命

原文:神奈川県川崎市多摩区


多摩区長沢

諏訪社はお産の神様だと言って安産を祈る氏子が多かった。

ある夜、乞食が拝殿に泊まった。夜中に話声がするので乞食は目を覚まし、聞いていると、奥殿の方で神様と召使が頻りに話をしている。どこそこの家で只今男の子がやすやすと産まれました、と産婆役の召使が神様に報告している。すると神様が、ああそうか、その子は可愛そうだが七つになると水の災いで命をとられると言った。

乞食は不思議に思い夜が明けてから其の家へ行ったところ、ほんとに男の子の安産があったとて家中大喜びであった。乞食は、昨夜の神様の話しをありのまま主人に告げて立去った。

主人は乞食が何を言うかと思ったが、もしやの事があってはと其の男の子を注意に注意して育てた。子供が七歳になったので、堀にでも落ちやしないかと其の一年間付け人をして用心した。

ある日、流し下の番手桶に水が汲んであった。その手桶にどうした事か七つの男の子が首を突っ込み死んでいた。それをきいた村中の人が不思議な事があるものだとうわさした。

『稲毛郷土史』二七〇頁

『川崎物語集 巻二』川崎の民話調査団
(川崎市市民ミュージアム)より

追記