松寿弁財天

原文:神奈川県川崎市高津区


高津区下作延

むかし、ある夜のこと、宿河原村の紋右衛門の木戸をたたく者がいる。紋右衛門は、こんな夜中に誰だろうと行ってみたが、誰もいない。空耳かと思ってもどって床にはいると、また木戸をたたくのだ。妻もたしかに聞いたというので行ってみるとやはり人影はない。

紋右衛門は、気味の悪い夜だなともどってくると、蚕室から火が出ていた。

「あっ! 火事だ、火事だっ!」

叫びをきいて妻もとびおきてきて、消し止めた。すんでのところで大火事になるところだった。

「木戸をたたいた人が教えてくれたのだ。いったいだれだろう」

夜が明けて、紋右衛門夫婦が蚕室へいってみると、天井の梁に白蛇が火をあびて死んでいた。

「そうだ、松寿弁財天さまが教えてくださったのじゃ」

紋右衛門夫婦は、白蛇を手厚く供養した。それからこの村では、火事がなかったという。

弁財天のこうしたご利益は、広く知られ、毎月の巳の日には参詣人が押しよせ、四斗樽の底が抜けるくらい銭が投げ込まれたという。この人出をねらって下綱には八十四軒の茶屋ができ、見世物小屋までかかったという。

『神奈川ふるさと風土図』川崎編 一一三頁

『川崎物語集 巻六』川崎の民話調査団
(川崎市市民ミュージアム)より

追記